今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「模範家庭文庫」と題した昭和58年のコラムの一節です。
「そしたら天も私を憐れんだのだろう。ある日イソップとグリムとアンデルセンをどさっと貸してくれる人があった。それも一週間以内に返さなけばならぬと、まるでグリムのなかの話のようなのである。とはいうものの、十日や半月はいいだろうと甘くみていたらいけないのだそうで、私は大あわてにあわてて見たが物語の題は多く忘れていた。
そりゃイソップなんか噺が三百三十三もあって、出てくるのは狼と羊と狐と獅子である。似たような題はおぼえきれないが口絵と挿絵は全部、おお全部おぼえていた。グリムもそうである。アンデルセンもそうである。どうして絵なら全部おぼえているかと今にして思うと、まだ字が読めなかった幼いころ、あの大冊をかかえて、絵だけながめること何十回だか知れなかったせいだと分った。一点一画まで見おぼえがある。ことに懐しいアンデルセンについてはひとことも言わないうちに紙面が尽きたが、私の大好きな話に『飛行鞄』がある。『お爺さんのすることには間違いがない』がある。『小クラウスと大クラウス』がある。これは大(おお)クラウスと小(こ)クラウスと反対におぼえていた。『醜いあひるの子』がある。これらについてはまた改めて書かなければならないが、まだ見ることができない『ロビンソン漂流記』とことに『ガリバー旅行記』についても言わなければならない。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「そしたら天も私を憐れんだのだろう。ある日イソップとグリムとアンデルセンをどさっと貸してくれる人があった。それも一週間以内に返さなけばならぬと、まるでグリムのなかの話のようなのである。とはいうものの、十日や半月はいいだろうと甘くみていたらいけないのだそうで、私は大あわてにあわてて見たが物語の題は多く忘れていた。
そりゃイソップなんか噺が三百三十三もあって、出てくるのは狼と羊と狐と獅子である。似たような題はおぼえきれないが口絵と挿絵は全部、おお全部おぼえていた。グリムもそうである。アンデルセンもそうである。どうして絵なら全部おぼえているかと今にして思うと、まだ字が読めなかった幼いころ、あの大冊をかかえて、絵だけながめること何十回だか知れなかったせいだと分った。一点一画まで見おぼえがある。ことに懐しいアンデルセンについてはひとことも言わないうちに紙面が尽きたが、私の大好きな話に『飛行鞄』がある。『お爺さんのすることには間違いがない』がある。『小クラウスと大クラウス』がある。これは大(おお)クラウスと小(こ)クラウスと反対におぼえていた。『醜いあひるの子』がある。これらについてはまた改めて書かなければならないが、まだ見ることができない『ロビンソン漂流記』とことに『ガリバー旅行記』についても言わなければならない。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)