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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・07・24

2006-07-24 14:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、「親子の絆についての断想」と題した、作家水上勉さんが書かれた五章から成る文章です。

 「一
  
  なぜ自分は、こんな家の、こんな父母に生まれたのだろう、と思いはじめたのはいつ頃だったか、たぶん、よその親子が目にうつって、わが家と比べはじめた時だろうと思う。五つだったか。六つだったか。比べる家は六十三軒あったの家々であり、そこの親やら子なのである。五つ六つでよその家をよく見たわけでもないが、よその家へゆく用事はあった。私の父は棺桶大工といわれて、埋葬地近くの他人の土地に建った小舎のような家に住んでいた。父の母は盲目だった。私にとって祖母であるが、この人は若くから全盲で、眼が見えないのに、『村あるき』していた。区長の家へ朝早く用事をききにいって、六十三軒をふれ廻るのである。米二俵が祖母の給料だった。私はよく祖母の手びきをした。それでよその家をのぞくことになった。どこの家にも電燈があり、風呂があり、庭には柿やら蜜柑やら、グミがあって、牛や馬もいた。川戸(浅い川につくった炊事場)には魚の骨や、鶏の骨があった。夕方、訪れてゆくと、電燈の下でめしを食う親子の食膳に湯気が立ち、ぷーんと煮物の匂いが鼻をついた。
 だが、私の家には、そういう明るい団欒はなかった。先ず電燈がなかった。風呂もなかった。浅い川の川戸もなかった。水は地主の家へもらいにゆくのである。もらい水での炊事だから、風呂まで手がまわらぬのも道理だった。陽がしずむと真っ暗になる家で、五人もの兄弟妹が、ごろごろ、棺桶をつくる父と、下駄直しの上手な母のもとで育ったのだ。私は二ばんめで兄とは二つちがい、一つちがいの弟に弘がいたが、これは早逝、つぎの弟は五つちがいで生まれている。まだ、ふたりいた。」

   (山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)
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