「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

松樹千年翠 2005・01・21

2005-01-21 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は「松樹千年の翠(しょうじゅせんねんのみどり)」という言葉です。

 四季を通じて緑を保つ「松」の樹は、「桜」のような華やかさはありませんし、歌に詠まれる時節もありません。それでも、その変わらぬ力強い姿と生命力はすばらしいものがあります。「松樹千年翠」はそんな松を讃えた禅語です。

 風雪に耐え、いつも変わらぬ緑を保つ松の樹が、実は絶えず変化し続けていることに、ひとは中々気が付きません。春には柔らかい若葉が芽吹きます。古い濃い緑の葉はやがて茶色に変わり落ちていきます。静かな存在は変わらぬように見えて、絶えず変化し続けているのです。じっとしているだけでは、現状維持すらできません。

 移ろいやすい世の中の事象に振り回されず、黙々と命をつないでいく、そういう生き方をしたいと思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

啄木 2005・01・20

2005-01-20 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、今を去ること40年前の高校時代に、初めて目にした石川啄木(1886-1912)の歌です。

 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」

 「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」

 「そのかみの 神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと」

 「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」

 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」

 「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」

 「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」

 「石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし」

 「やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」

 「かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川」

 「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005・01・19

2005-01-19 07:00:00 | Weblog
 世の中には様々な種類の職業がありますが、昔から「安定」して「堅い」職業の代表は「銀行員」でした。「公務員」もそうですが、常識的に考えれば、血気盛んな若者が好んで就く筈のない地味な職業です。「保険会社の社員」というのも「銀行員」と似ています。

 保険会社の社員という職業の評価、その社会的地位は昔から決して高いものではありません。

 日本においては、100年そこそこ前の明治時代に誕生し、戦後のモータリゼーションの進行に伴い自動車保険を牽引車として発展した損保業界と毎日の民放テレビ番組の合間にスポットCMがひっきりなしに流されている生保業界があります。この地味な保険業界に、戦後の復興期に、若くて優秀な人材を少数精鋭で集めようとするならば、良い給料、良い労働条件を提示する他なかったのだと思います。その頃からの伝統が、高度成長期を経て、今日まで続いてきたため、保険会社の従業員給与は他業種と比べて高めの水準にあるのです。

 巨額の不良債権を抱え、公的資金が注入され国民の税金のお世話になっているメガバンクの行員の給与水準の高さが批判されるのは当然ですが、安定した業績を挙げている保険会社の従業員給与の高さが、その高さゆえに批判される謂われはありません。

 昔から「保険屋」さんと呼ばれ、まさかのときの備えという効用は、理屈としては理解されながらも、保険料という名の掛け金を、税金同様、取り立てられるという感覚があり、また何事も起こらなければ払い捨てという割り切れなさの残るものであることから、人々の評価が低いのだと思います。物を作る仕事とか、物を売る仕事とかと比べると、生保であれ損保であれ保険は、あくまで縁の下の力持ち、人間社会を陰で支える地味な仕事であり、正当な評価はされるべきであるとは思いますが、社会の中で主役となることはまずありません。また、なくてもよいのだと思っています。

 保険金詐欺や保険金搾取を目的とした殺人事件は昔から後を絶ちませんが、最近のように、これだけ日常的に起きるということは、現代の日本人に老いも若きも、男女の別もなく、おカネ万能の拝金思想が蔓延し、通常社会の中にビルトインされている、犯罪に走ろうとする個人を未然に抑止し、規制する力が著しく減衰しているような気がします。社会の規範的なものが急速に希薄になってきている何よりの証拠だと思います。

 「保険」という社会生活の安定を図る知恵、仕組みには、一歩間違えば金儲けのための犯罪を誘発する側面があるだけに、保険契約獲得のために引受け時の契約者のチェック・審査が甘くなり、不正な契約の成立を簡単に許してしまうような引受姿勢は、保険会社にとって命取りになりかねません。

 日本中に「不祥事」が蔓延している今日、「お役所」や「銀行」や「保険会社」がその例外である筈もなく、どこの組織もコンプライアンス(法令遵守)や内部監査に大童です。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若山牧水 2005・01・18

2005-01-18 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は若山牧水(1885-1928)の歌三首です。


 「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

 「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」

 「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけれ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005・01・17

2005-01-17 06:00:00 | Weblog
 極楽も地獄もともにこの現世にあるのだという思いを強くしたのが、10年前の阪神淡路大震災です。

 神戸の街が燃え続ける傍らで、震災の当日もその後もお隣りの大阪の街は灯火が消えるどころか、繁華街のネオンも賑わいも常と変わりなく続いていました。私事ですが、阪神間に住んでいる親戚が何軒もあり、5000人を超える死傷者の中に知り人は居りませんでしたが、住まいが倒壊したところもありましたので、随分と安否を気遣ったものです。

 作家の五木寛之さんがその著「大河の一滴」の中で、「交通事故による死者が年間1万人余りであるのに対して、自殺者の数は近年2万人を下ることなく、命をとりとめた自殺未遂者まで含めると10万人にも及ぶのではないか、交通事故の多発状況を交通戦争と呼ぶなら、自殺の多発は心の内戦とでも呼ぶべき状況ではないか」と書いておられたのが6年前です。その後も状況は悪化の一途を辿っているように感じられます。自殺者の総数は1998年から3万人台に跳ね上がり、高水準が続いています。

 日本のように戦後の焼け跡から曲がりなりにも欧米の先進国の仲間入りをするところまで復興し、さらには西ヨーロッパの国々に比べて底の浅さはあるものの、成熟社会と呼ばれる段階に近づいた国で、物質的には恵まれた状況にあるにもかかわらず、精神面あるいは物心両面で行き詰まり、一線を越えてしまう人が増え、乳幼児以外のすべての年齢層に自殺者が現れていると言います。覚悟の自殺であるにせよ、単なる逃避行動としての自殺であるにせよ、一国の人口の0.1%を上回る人が毎年自殺するか、自殺を試みるというのは大変なことだと思います。老いも若きも強い「不安社会」の中にいるのだと思います。

 半面、国と国との戦争や国内の民族間の抗争、内戦で亡くなる、まさに人災によって亡くなる人々や、旱魃による飢饉により飢餓で亡くなる人々、毎年必ず発生する台風による水害、不時に発生する地震等天災で亡くなる人々の数も半端なものでなく、時に「心の内戦」で亡くなる人の数をはるかに上回ってしまう悲惨なこともあるのが現実のこの世界の有り様です。

 年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梁塵秘抄 2005・01・16

2005-01-16 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は12世紀の「梁塵秘抄」に収められている今様です。 

 「仏は常にいませども、現ならぬぞあはれなる、
  人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」

 同じ「梁塵秘抄」の次の歌は有名です。

 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
  遊ぶ子供の声きけば、我が身さへこそ動がるれ」 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古歌一首 2005・01・15

2005-01-15 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は昔書き留めた古歌一首です。誰の作であるかは存じません。

 「花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや」 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵を描く人生 2005・01・14

2005-01-14 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、「鶴見松渕俳画集」の中から書き留めた俳画家 鶴見松渕(つるみしょうえん 本名 鶴見久司 信州松本に生まれ、大町にて客死 1919-1999)の俳句(画賛)です。


 「鎧脱いで 故郷のやま 静かなリ」

 「鎧脱いで 故郷の山 雪真白」

 「ほどほどの 心と決めし 初詣」

 「春寒や 労りあえる 五十肩」

 「寄鍋や ふたりなれども 賑わしく」

 「乱獲の 空しき海や 町凍る」

 「常念に 残雪ありて 花見かな」

 「子の夢を 大きくひろげ 粽喰ふ」

 「よりそいて 肩に小さき アンブレラ」

 「独り旅 彩管ありて 鮎の宿」

 「氷菓子 召し上りたる 石仏」

 「弱法師の 影くっきりと 薪能」

 「爺岳に 春呼ぶ像(かたち) 晴れわたる」

 「配膳の 手馴れし僧や 三宝柑」

 「焼鮎や 九谷の皿に そりかえり」

 「癌告知 黄ばみゆく庭 手だてなし」

 「祖の冥る 寺に紅葉の 時雨ふる」

 「故郷を 守る姉あり 柿とどく」

 「空蝉は 野に残したる 旅衣」

 「ミュンヘンの 薔薇紅々と ビヤガーデン」

 「秋日ふる 死の街影や ベスビアス」

 「石道に 軌跡深々 秋ポンペイ」

 「黄ばみゆく 凱旋門に 茜映ゆ」

 「邦人も 秋の絵を売る モンマルトル」

 「鎧脱ぐ 故里の山 晴れわたる」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2005・01・13

2005-01-13 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は河東碧悟桐(本名 河東秉五郎 1873-1937)の句です。


 「赤い椿と 白い椿と 落ちにけり

 「足もとに ヒヨコ来鳴くや 霧の中
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子規 2005・01・12

2005-01-12 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は正岡子規(1867-1902)の言葉です。

 「悟りは平気で死ぬことではなく、どんな場合でも平気で生きること、しかも楽しみを見出さなければ生きている価値がない。」

 
 子規の俳句も勿論「お気に入り」に書き留めています。

 「一年は正月にあり 一生は今にあり」

 「初春や 雪の中なる 善光寺」

 「うつくしき 根岸の春や ささの雪」

 「汽車過ぎて 烟うづまく 若葉かな」

 「枝豆や 三寸飛んで 口に入る」

 「鶏頭の 十四五本 ありぬべし」

 「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」

 「行く我に とどまる汝に 秋二つ」

 「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」


 もうひとつ、子規が自分の葬式について述べた言葉があります。

「葬式の広告など無用に候。……
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。
戒名といふもの無用に候。
自然石の石碑はいやな事に候。
柩の前にて通夜すること無用に候。
柩の前にて空涙は無用に候。
談笑平生の如くあるべく候。」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする