今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集の中の「世代の違いと言うなかれ」と題したコラムから。
「この二十年、大人たちは世代について論じすぎた。以前は三十年を一世代と称したのを、長すぎると短くした。戦前、戦中、戦後派と、十年ごとに区切って互に経験が相違するから理解を絶すると言った。
たとえば戦中派の青春は、戦争にはじまって戦争に終った、敗戦と同時にわが青春も終っていたから損したと、みれんなことを言う。これは戦前派も戦後派も知らぬ経験だと悲壮がるが、なに、どんな時代にも青春はあったと私は思っている。
親たちが世代の相違を言うから、子供たちもまねをする。安保騒動以前の学生と、以後の学生の間には深淵があって、両者の言葉は通じないとま顔で言う若者がある。
世代をこま切れにすれば、とめどがない。親が十年に区切れば、子は五年に、ついには一年に切りきざむ。いいかげんにしたらどうか。
話して分らぬのは、話し方が拙いからである。想像力が足りないからである。私は昭和十年代の浅草なら知るが、その以前は知らない。それを知る男の話を聞いて、人情風俗の相違は感じても、断絶なんか感じはしない。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
「この二十年、大人たちは世代について論じすぎた。以前は三十年を一世代と称したのを、長すぎると短くした。戦前、戦中、戦後派と、十年ごとに区切って互に経験が相違するから理解を絶すると言った。
たとえば戦中派の青春は、戦争にはじまって戦争に終った、敗戦と同時にわが青春も終っていたから損したと、みれんなことを言う。これは戦前派も戦後派も知らぬ経験だと悲壮がるが、なに、どんな時代にも青春はあったと私は思っている。
親たちが世代の相違を言うから、子供たちもまねをする。安保騒動以前の学生と、以後の学生の間には深淵があって、両者の言葉は通じないとま顔で言う若者がある。
世代をこま切れにすれば、とめどがない。親が十年に区切れば、子は五年に、ついには一年に切りきざむ。いいかげんにしたらどうか。
話して分らぬのは、話し方が拙いからである。想像力が足りないからである。私は昭和十年代の浅草なら知るが、その以前は知らない。それを知る男の話を聞いて、人情風俗の相違は感じても、断絶なんか感じはしない。」
(山本夏彦著「茶の間の正義」所収)