「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

新聞はきょうの目あすの目未来の目 2005・10・11

2005-10-11 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「永井荷風は少年のころ、子供は新聞なんか読むものではないと親に禁じられていたという。今も昔も新聞は売るに急で、好んで醜聞をあばく。当時『蓄妾実例』と題して、妾を持つ名士の私行を連載してよく売れた新聞があった。
 そのころだって蓄妾はいいことではなかったから、あばかれれば一家は世間に顔むけできなかった。妾は持たないが持つ力のあるものは新聞を憎んだ。持つ力のないものは持てるものが槍玉にあげられているのを見て快哉を叫んだ。
 新聞は読者の嫉妬心をあおって、それを正義だと自分も思い読者にも思わせた。
 のちに荷風は職業を選ぶに当って、新聞記者になろうか、いや自分はあるいは泥棒にはなっても、正義と人道を売りものにするものだけにはなるまいと思ったと書いた。
 私の父は昭和三年五十にならないで死んだが、やはり子供たちに新聞を読むことを禁じた。禁じられたからかえって私は読んだのである。記事ばかりか広告の文句まで読んだのである。昭和初年の新聞は総ルビ付だったから小学生にも読めた。
 なぜ禁じたかと今にして思うと、新聞は誇張する欺く誤るからで、大人はそれを承知して割引いて見るからいいが、子供はうのみにする。
 以来なん十年、今の子供は新聞を全く読まなくなった。それは小学校の先生が読め読め特に社説を読めと強いるからで、それで見るのもイヤになったのである。読ませたいならきびしく読むことを禁じるがいい。
 『新聞はきょうの目あすの目未来の目』というのが昭和五十五年の『新聞週間』の標語である。新聞週間の標語には『新聞で見る知る正しく批判する』(四十一年)『新聞は記事に責任主張に誇り』(五十年)などというのがあって、いずれも噴飯ものである。さすがに気がとがめるのか今年は鳴物入りで書かないで、いつ始まったとも知れないうちに終った。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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この世はウソでかためたところである 2005・10・10

2005-10-10 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。


 「オリンピックは参加することに意味があるなんてむろんウソである。一にも二にも勝つことに意味がある。

 アマチュアリズムが大事だというが、あれがアマチュアでないことはみんな知っている。」

  (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)


 「昭和五十五年九月高校野球の選手二人が、ささいなことから喧嘩して一人が一人をけがさせた。あくる五十六年

 三月それが露見して、二人はすでに卒業しているというのに、高校野球の精神を踏みにじったとその学校は対外試合の

 出場を禁じられた。

  高校生なら喧嘩ぐらいするだろう。すればけがぐらいするだろう。それがどうしたと言うのが当りまえなのに、

 関係者は恐れて言わない。

  この高校は私立横浜高校で甲子園で優勝した野球の名門校である。けがさせたのは愛甲猛投手で、彼は五千万円の

 契約金ですでにロッテに入団している。

  私はかねがね高校野球連盟というものの偽善ぶりに腹をたてている。まじめくさってその精神を踏みにじったなどと

 言う男どものツラが見たいと思っている。

  そもそも前の年九月の喧嘩が今ごろ問題になるのがおかしいのである。秘しがくしにしていたのを誰かが訴えたに

 違いない。訴えたのはライバル校だろう。横浜高校が出場できなくなればトクする野球部だろう。これしきのことを

 高野連の理事が知らないはずがない。

  スカウトというと聞えはいいが、あれは人買いである。大学は高校から、高校は中学から有望選手を買いあさって

 久しい。選手ならあらゆる試験に白紙でパスすることに、戦前からきまっている。パスさせて誰も怪しまないほど

 腐敗しながら、よくまあきれいな口がきけるなあ。
 
  あれを人身売買だと言ったのは故人大宅壮一である。すこしでも高く売ろうとかけひきする親子があると、いまだに

 顔をそむけるファンが多いのは、高野連に劣らぬかまととぶりである。高校野球がそんなに神聖ならロッテに愛甲の

 出場を禁じるよう要請してはどうかと言えば、皆さん一笑に付すからなに神聖でも何でもないこと、プロ野球の

 予備校だということは承知なのである。

  この世はウソでかためたところではあるけれど、このウソ私はだいきらいである。」


  (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫)






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この世にタダのものなどありはしない 2005・10・09

2005-10-09 06:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ほかのテレビはタダなのに、NHKだけは金をとる、皆さん払うのをよしましょうとそそのかすものがあるが、

 私は不賛成である。
 
  ほかのテレビというのは民放のことだろう。山本七平氏いわく、民放は莫大な広告料で経営されている。スポン

 サーはその費用を全部製品に転嫁している。五年前の調査だが、その総額はひとり年間一万円に当ったという。

 五人家族なら五万円である。それはビールや酒の間接税に似て、国民は払っている自覚がない。

  ビールや酒は飲まなければ払わないですむが、民放で広告している商品は、『広告料転嫁をのぞいた値段』で

 買う方法がないかぎり、払わないわけにはいかない。これでは下戸まで酒税を払わされているようなものだ云々。

  私はこの世にタダのものなどありはしないと思っている。それなのに民放はタダだとだまされて、ついでに

 NHKまでタダにせよなんて気勢をあげるのは見当ちがいだと思っている。

  私は民放もNHKも、もっともっと金をとればいいと思っている。一ケ月五万円十万円とるがいい。それが

 いやなら番組ごとにコインを投じさせるがいいと、何度も書いて恐縮だが書かせてもらう。

  『なっちゃんの写真館』一回百円と聞けば、たいていの人はコインを投じようとしてやめるだろう。こうして

 番組は厳選され女子供がテレビを見る時間は激減し、視聴率などという不確かなものでなく、番組ごとに○千○百万円

 という確かな収入があるだろう。

  『芸』は客が劇場に出むいて入場料を払ってひまをつぶしてくれて始めて芸である。タダで先方からおしかけてくる

 芸にろくなものがあるはずがない。

  タダは芸人と客を無限に堕落させる。コインを投じれば芸人と見物の仲は回復する。一家の団らんも回復し、あの

 テレビの百害といわれるもののたいていは一掃され、すべてはまるく納まるだろう。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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俵はごーろごろ 2005・10・08

2005-10-08 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「昭和五十五年五月二十八日清元志寿太夫の公演を見た。志寿太夫はあの名高い延寿太夫の高弟で、この道にはいって

 六十五年になる。それを記念して歌舞伎座を一日買い切って公演があったのである。

  歌右衛門と勘三郎が夕霧と伊左衛門、梅幸と松緑が吉野山の道行を祝って演じた。歌右衛門ひとりを除いて、あとは

 太りすぎである。梅幸の静のごときはウェストもバストもヒップもない、『俵はごーろごろ』である。役者があんなに

 太っていいものだろうか。

  アメリカの役者は身長と体重、眼と髪の色をこまごま登録して契約する。身長はもうふえないからいいが、目方は

 ふえるから拳闘選手のごとく警戒おさおさ怠りないが、それでもふえると契約は解除される。

  わが国の役者が体重に無関心なのは、戦前まで日本人はあまり太らなかったからである。あの十五代羽左衛門は、

 いつ見ても同じ程度にやせていた。

  西洋の女はハタチすぎるとみるみる太りだす。それは言語に絶する太りかたをするから、思えば日本人は仕合せ

 だった。けれども、食いもののせいかまもなく西洋人に近く太るだろう兆がみえる。

  西洋人は歌舞伎や能を見て、ワンダフルと言うが、あれは世辞である。日本人でさえ珍粉漢なものが一瞥して分る

 道理がない。『死ぬほどたいくつ』と言った西洋人があるが、それが本音である。

 歌舞伎はもう滅びたも同然だから、梅幸や幸四郎がいくら太ろうとままよだが、これからという役者が太るのは不心得

 である。こないだテレビのCFのなかで江守徹を見て、その太ったのに驚いた。気味がわるい。えくぼをつくって婉然と

 笑ったのにはキモをつぶした。

  役者は太ってもやせてもいけない。契約違反である。それは興行主との契約ではなく見物人との契約で、見物が贔屓に

 したのは中肉中背の俳優江守徹である。

  江守ばかりではない、玉三郎もよく聞けよ。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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生涯の苦楽会社による 2005・10・07

2005-10-07 06:00:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。


 「人生婦人の身となるなかれ、百年の苦楽他人による――という言葉を、私は会社員にあてはめてみることがある。会社員

 の生涯はうっかりはいった会社次第で、百年の禍福会社によるからである。

  昭和初年『満鉄』に入社したものは、一家をあげて喜んだことだろう。その満鉄は戦後あとかたもない。昭和二十何年

 石炭会社に採用されたものも、同じく喜んだことだろう。そのころ石炭は黒ダイヤと呼ばれていた。

  いま栄えているものが、いつまでも栄えると思うのは人間の常である。山陽特殊鋼、興人、安宅産業などに勇んで入社

 した若者たちは今どうしていることだろう。

  弱年のころ私は、会社員にだけはなるまいぞと心にかたくちかった。それならひと旗あげなければならない。ひと旗

 あげるというのは自分で商売することで、明治時代ならいざしらず昭和十年代にひと旗あげるのはすでに時代錯誤である

 こと今日のごとくであった。

  それでも私は会社員にならないで、ちっぽけな会社を経営して三十年になる。三十年といえばほぼ人の一生で、これだけ

 続いたのだからこれからも続くだろうと思うのが人情なのに、私は思わない。

  私と共に世間にデビューした同時代の友は、あるものは大会社の部長であり大新聞の幹部であり、会えば貴君は一国一城

 のあるじでうらやましいと言うが、本気で言ってないことはその顔を見れば分る。明日をも知れぬ会社をよくやっているなあ

 と、目にあわれみの色がある。

  生涯の苦楽会社によるのに、なお若者が大会社の社員になりたがるのは、個人がひと旗あげる時代は遠く去ったからで

 ある。『個人』の時代が去って『法人』の時代になったことを知るからである。それかあらぬかよしんば初任給二十万円

 くれても、ギョーザチェーン『王将』には学生を推さないと、さる大学の就職課長が言っていた。」

  「ある朝出勤したら会社はつぶれていたとよく聞くが、これは社員がその日まで会社を疑っていなかった証拠で、その

 極端な例が大日本帝国である。

  昭和十九年七月サイパンがおちて、東京は米空軍の爆撃圏内にはいった。これで万事休したのに軍人や役人はそうは

 思わなかった。ばかりかそう思うものを逮捕した。そしてこのごに及んで、なお少将は中将に、課長は部長になりた

 がった。」

  
  (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)






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正義は国を滅ぼす、ことがある 2005・10・06

2005-10-06 05:55:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、本気でそう思っているのかどうかは分らない。

   リベートは商取引にはつきもので、悪事ではない。ただそれを貰う席にいないものは、いまいましいから悪く言うが、

  それは嫉妬であって正義ではない。だからといって恐れながらと上役に訴えて出るものがないのは、いつ自分にその席に

  坐る番が回ってくるか知れないからで、故に利口者はリベートをひとり占めにしない。いつも同役に少し分配して無事

  である。会社も気をつかって交替させ、同じ人物をいつまでもそこに置かない。

   我々貧乏人はみな正義で、金持と権力ある者はみな正義でないという議論は、金持でもなく権力もない読者を常に喜ばす。

  タダで喜ばすことができるから、新聞は昔から喜ばして今に至っている。これを迎合という。

   城山三郎著『男子の本懐』(新潮社)は、宰相浜口雄幸と蔵相井上準之助を、私事を忘れて国事に奔走した大丈夫として

  描いている。けれども二人は共に非業の死をとげる。

   当時の新聞は政財界を最下等の人間の集団だと書くこと今日のようだった。それをうのみにして、若者たちは政財界人を

  殺したのである。

   汚職や疑獄による損失は、その反動として生じた青年将校の革新運動によるそれとくらべればものの数ではない。血盟団

  や青年将校たちの正義は、のちにわが国を滅ぼした。汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである。

   今も新聞は政治家を人間のくずだと罵るが、我々は我々以上の国会も議員も持てない。政治家の低劣と腐敗は、我々の

  低劣と腐敗の反映だから、かれにつばするのはわれにつばすることなのに、われはかれに勇んでつばすることをやめない。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)


                         


  「我々は我々以上の国会も議員も持てない」という先人の言葉は、覚せい剤議員の支援者や一度ならず二度までも彼に票を

  投じた選挙民にとっては、とくに耳に痛いことでしょう。そして我々にとっても。




                     
                    
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人間は何をつくってきたか 2005・10・05

2005-10-05 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「NHK教育テレビ特別番組『人間は何をつくってきたか』――夜八時から毎回一時間、連続六回のうち三回と半分を見た。

 人間はこれまで何をつくってきたかというのは永遠のテーマで、私たちは小学校以来なじみである。人はこれまで汽車を

 汽船を自動車を飛行機をつくった。スチーブンソンがフルトンがライトがつくったと、戦前の教科書も戦後の教科書も、

 まるで自分がつくったように自慢した。

  昔は夜は暗かったが、今は明るい。昔は歩いて旅したが今は自動車で飛行機で旅する。昔は不便だったが今は便利だと

 教科書はいうから、しぜん子供は信じた。

  今回の特別番組はそのテレビ版で、全く同じ精神に貫かれている。私たちは自分の生れた時代が、一番いい時代だと

 思わなければいられないように教育されている。

  だから私たちは二千年前の墓を発掘して、なかに高い文化があるといって驚くのである。絹がある文字がある漆器が

 ある竹牌がある。

  そんなもの、あるにきまっている。彫刻家平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)翁は百七歳で死んだ。二千年は平櫛翁二十

 人分にすぎない。一弾指である。一弾指は二十瞬だという。

  二千年前はシナでは孔孟老荘、ギリシャではソクラテスプラトンの時代である。我らは彼らの知恵に加うるに何を

 持つというのだろう。

  だから新幹線がある自動車がある飛行機があるというのだろうが、むかし私たちは二本の足で一里(約四キロ)を

 一時間で歩いた。今自動車で一里を五分で行くとすれば、今は昔に勝るか。自動車を独占してひとり五分で行けるなら

 勝るが、皆さん五分で行くのだから、歩いた昔と同じではないかと、私は旧著のなかで笑ったことがある。

  『人間は何をつくってきたか』は好評でさらに続編を製作する予定らしいが、それは『原水爆をつくった』で結んで、

 被爆者のあの写真を並べるがいい。自動車や飛行機をつくった知恵の極にはこれがある。その知恵の末端の自動車を

 享楽して、先端の原水爆だけ許さないと叫んでも、それは出来ない相談である。自慢話の最後はこれでしめくくるがいい。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)




                      
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一太郎やあーい 2005・10・04

2005-10-04 06:05:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「私は病気したことがないというと健康と思われるが、程度の低いところの健康で、それでも健康のうちだから

  病気のことは全く知らない。これに反して妻は名のある病気はたいていわずらって、最後にガンである。二十年前

  早く発見したあと何事もなかったのが仇になって、今度は発見がおくれて骨にきたのである。それも随所にきた。

   健康なものには死んで行くものの気持は分らない。気休めは言ってもらいたくない。病は気からなんて中曽根さん

  もついうっかり言ったのだろうから腹もたたないが、慰めの言葉なんてみんなこんなものだから、病気の話はいっさい

  しないと妻は決心してしなくなった。」

  「妻は病気のベテランで薬についてくわしいのはかえって不幸だと当人も私も思っている。ことに医者は患者が病気に

  また薬に明るいのを喜ばない。今は少くなったが以前はあれを打ってくれこれを注射してくれと流行の薬の名をあげて

  言う患者がいた。何を打つかきめるのは医者である。患者ではない。むろん妻はそんなことは言わないが、薬の名の

  たいていをそらんじている。知っていることは不幸だと知らない私は思うが今さら無知になれるものではない。一夜に

  して白髪になるような劇薬はのみたくない。しばらく抗ガン剤を服用しているうち、どうせ効かないのなら丸山ワクチン

  にしたいと言いだした。何より副作用がない。それに一縷の望みがある。

   健康な人ならみんなキライだと妻はある時ふと漏らしたことがある。さもあろうと私は同感したが、私もその健康な

  ほうに属しているのだからめったなことは言えない。私は半ば死んだ人と暮しているのである。さりとて”おらが女房を

  ほめるじゃないが、ままを炊いたり水しごと――家事はまだできるのである。できる間はついうかと亭主である私は妻を

  並の人として使うのである。ただ重いものは持たせないでくれと主治医に言われているので掃除だけは私がする。ふとん

  のあげおろし、雨戸のあけたても私がする。

   けれども朝は私がしても、夜帰れば床はとってあるのだから形ばかりである。ただ雨戸だけは一枚あけるだけにして

  くれと言われた。全部あけられると夕方しめるに難渋するようになったのである。こうして秋がきて冬がくると、生垣の

  まばらなすきまから空地をへだてて出勤する私のうしろ姿が遠く見える。雨戸一枚あいたなかから手をふって、あるいは

  これが見おさめかと思うのだという。
 
   つとに私たちは核家族である。子供たちはとうの昔この家を去って二人しかいない。使わない部屋は物置になるという

  ことを私は次第に発見した。」


  「私は妻が何を言ってもつとめて笑って答えることにした。二人一緒に失望落胆するよりよかろうと思うだけで、それは

  妻にも分らないではないが、時には何を笑うかとむっとすることがないではない。それは私の笑い声のなかに、死ぬこと

  なんぞ考えないものの響きがあるからだろうと私は察するが、それは如何ともできない。

   ある日妻は突然号泣した。死にたしという、死にたからむ、生きたしという、生きたからむ。」


  「いま妻は頼んでこの病院の七階に入院中である。私は夕方事務所の帰りに見舞っている。たまたま病院のまん前は根津

  権現のま裏で、何日も祭りが続いている。帰りがけに振返ると日はすでにとっぷり暮れている。七階の窓で豆粒大と化した

  人影がちぎれるばかり手を振っている。私は二つ並んだ公衆電話のボックスにかけより、その灯かげの下で背のびして同じ

  く手を振って答える。さながら『一太郎やあーい』である。」


  「医師は免許をもったからといって死ぬまで医師であることはアメリカではない。再び三たび試験を受けて免許を更新する

  と聞いた。当然のことでありながらわが国では行われていないことである。
 
   私は妻の病気につきあって少しく疲労困憊したが、おかげでわが国の医療の世界をかいま見て得るところがあった。」

   (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)


  「妻が入退院を繰返すようになって以来、私は時々誰もいない自宅に電話するようになった。電話ぐちに誰か出やしまいかと、

  それは息づまるような一瞬である。茶の間の電話は長く空しく高鳴っている。誰も出ないことに安堵して、私はのろのろと

  帰途につくのである。」

   (山本夏彦著「美しければすべてよし」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)





                    
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男は十人集まれば派閥をつくる 2005・10・03

2005-10-03 05:50:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「家に病人が出て病院から病院へと歩いた。ガンである。ガンはもう珍しい病気ではないが、それでも一巻の終り

  だから、慶応にいい医者がいると聞けばやはり見てもらおうとする。

   紹介状を書いてくれて、その上電話をかけてくれるという友があれば迷う。けれども、これまでかかっていた

  医者は東大出で、慶応でみてもらったと聞くとみるみる顔色をかえる。『慶応には産科の医者はいると聞いたが、

  ガンの医者もいるのか』と言う。そりゃいること東大にいるのと同じだと一蹴したくても患者だから一蹴できない。

   実はこの患者というのはわが細君で、病気というのは乳ガンである。結局もう一人懇意な千葉大出の先生(これは

  いい先生念のため)の推薦できる公立病院で手術してもらった。剔出は過不足なくすんだが、あとでコバルトをかけ

  なければならない。

   コバルトはコバルト専門の病院でかける。手術した先生も千葉大、コバルトをかける先生も千葉大だから文句はない

  はずなのに、今度は千葉大出のなかに無数のこまかい派閥があって、コバルト氏は明らかに別派らしく見るからに

  不機嫌である。

   紹介状はもらったが電話をもらってない。ほかの先生なら電話がある云々。電話より手紙のほうが丁寧なのに、

  このコバルト氏は不満で瀕死の病人を目の前に難くせつけるのである。以来わざと待たせたり、必要な口をきか

  なかったりする。

   それでもついこの間コバルト照射を終った。医師に派閥ありとだれも知ることを改めて言ったのは、派閥はどんな

  社会にもあると言いたかったためである。それは学界にある、官界にある。男は十人集まれば派閥をつくる。

   だから政変があるたびに、新聞は派閥を解消せよと書いて、政客が解消しますと答えるのは茶番である。そんなこと

  を言う新聞こそ派閥のかたまりで、社長派と重役派が争って二十年になる新聞がある。それが派閥を解消せよと言うの

  だから、だれも本気にしない。」

      (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)


   「いま日本の医療が世界一でないまでも、一、二を争っていることは仄聞している。私はそれを疑うものではない。

   けれども一流なのは医療機器とそれを操作する技術ではないかと疑っている。」


   「私は日本の医者がアメリカの医者に本質的に劣るなんて思ってない。かれが一流ならわれも一流であり、かれが

   ろくでなしならわれもろくでなしであること同じだと思っている。

    それなのに違いが生じるのは一つは構造のせいであり、一つは保険のせいではないかと思っている。」

      (山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)
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今日のお気に入り 2005・10・02

2005-10-02 06:00:00 | Weblog


 「冬憶ふまじ今紅くナナカマド」(嶋田摩耶子)
 
 この句を引用して、倉嶋厚さんがその著書「やまない雨はない」の中で次のように書いておられます。

 「じきに訪れる厳しい季節をいたずらに怖れるより、『今』を生き、『今』を味わおう。今やらなければならないこと、

 今ならできることを精一杯やれたらそれでいい。」






             
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