「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

何用あって月世界へ 2006・02・11

2006-02-11 07:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「江戸の大衆は役人は賄賂をとりたがるもの、責めるはヤボ、いくら取りかえても同じことだと言って笑った。自分もその席にすわれば必ずとる賄賂だと知っての上の笑いである。深くとがめないのは文化なのである。
 機械アル者ハ必ズ機事アリ 機事アル者ハ必ズ機心アリ(荘子)というのは繰返すが私の大好きな言葉である。人間の知恵は孔孟老荘、諸子百家に尽きている。西洋ならソクラテス、プラトン、おおあのイソップに尽きている。
 健康な人は本を読まない。読まないが人倫五常は知っている。風のたよりで知っている。本を読む人の書いたシェイクスピアや近松の芝居を通じて知っている。」

 「私は老荘の徒であるが、孔孟あっての老荘でいわば異端である。そしてこれも繰返すが孔子の子は孔子ではない。一からやりなおして孔子の域に達することはおぼつかない。尭の子尭ならずと古人は一言で言った。
 再三言うが人は哲学に絶望して目を機械に転じたのである。蒸気機関は一度(ひとたび)発明されればずっしりと存在するばかりか、跡継はそこから出発することが出来る。これにとびつかないでいられようか。
 今はそれが嵩じた時代である。『何用あって月世界へ』と昭和三十六年地球は青かったと世界中が騒いだとき私は書いた。これだけで分る人には中学生でも分る。六十七十の老人でも分らぬ人には分らぬ。年齢というものはないのである。私は月世界旅行に何の関心もないからさらなる他の衛星への旅にも関心がない。
 それより目下の急務は原水爆である。出来たものは出来ない昔に返れないという鉄則があることは何度もいった。ゆえに原爆許すまじと言うのはたわごとである。思想というものは大は原爆を、小はテレビを否定することができる。それを納得させることはできる。けれども取上げることはできない。
 かくてテレビはいよいよテレビに、原爆はいよいよ原爆になるよりほかない。小国が持つことを大国がさまたげるのは我々が文明人の皮をかぶった野蛮人である証拠である。わが胸の底にあるのは昔ながらの色と欲である。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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