「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・02・18

2006-02-18 09:15:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。昨日の続き。

 「貴族というのはこういうものだ。人は働かなければこうなる。紫式部の筆で美化されているが、光源氏はみかどの後妻の藤壺を慕ってやがて契(ちぎ)る、藤壺は源氏の子を生む。それと知らぬみかどはその子を溺愛する。源氏と藤壺は恐れかつ悩む。
 藤壺を忘れられない源氏は藤壺の姪に当る少女(のちの紫の上)を奪って自邸に引きとる。べつに人妻空蝉(うつせみ)、義兄弟の恋人夕顔とまじわっている。末摘花(すえつむはな)と通じたのもこのころで、以上源氏二十歳までのことである。
 四季うつって源氏五十歳に近くなって正妻女三宮は柏木と密通、宮は柏木の子(薫)を生んで出家、源氏はむかしみかどを裏切って藤壺に子を生ませた事を回想する。因果はめぐる小車(おぐるま)である。
 粗筋だけ述べるとまるでポルノだが、それが千年近く良家の子女に読みつがれ『古今』や『新古今』と共に教養の基礎になったのである。男子の基礎は漢籍だったが恋の手紙は大和ことばで仮名で書かなければならない。したがって男も歌をよんだがそれも明治の末に絶えた。
 社交界がうそでかためたところであることは洋の東西を問わない。その最も盛んなのはルイ十四世の昔で、とんで十九世紀に息ふき返したがやがて大小のパーティと化して今に及んだ。もう社交界はなくなったのである。芸術家はもと貴族の奉公人同然だった。映画の時代になって大金をとるようになると役者は上流に似た者になった。」


   (「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・02・17

2006-02-17 07:40:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「エカテリーナ二世(1729-96)はわが国では馴染が薄いが、良人であるピョートル三世を奸臣ばらの手をかりて殺害して即位したロシアの女帝である。
 在位三十四年専制を敷いて大功があった。白ロシア、クリミア、トルコを破り黒海の制海権を握った。だからこのくらいの贅沢は許されると途方もない贅沢をした。
 女帝をとりまく貴族もそのまねをした。三百人から八百人の召使を農奴から選んで雇った。これでは名前もおぼえられない。寝食は保証するが給金はやらない。この奉公人のなかには役者や音楽家もいる。
 主人は農奴を売買したり抵当にいれたりした。ペテルブルグやモスクワの新聞には『新品同様の馬車一台、別に少女一人売りたし十六歳』というたぐいの広告が年中出た。当時純血種の犬は二千ルーブル、農奴は三百ルーブル、その娘は百ルーブル以下が相場だったという。ただし腕のいい料理人や音楽家なら八百ルーブル位の値がつく(以上アンリ・トロワイヤ著・工藤庸子訳『女帝エカテリーナ』による)。
 これによって芸術家が奉公人の域を脱したのは僅々二百年のことだと分る。いまだに社交界では奉公人扱いされている無名の芸術家がいるはずなのに日本人は言わないから誰も知らない。私も知らない。
 エカテリーナ女王は小太りで並より背の低い六十歳あまりの白髪の老女ではあったが、身辺に若い美青年を絶やさなかった。なお漁ったから我こそは寵を得ようとする若者がいつもひしめいていたという。老いてますます好色な女王として名高い。
 イギリスの貴族はスポーツはするが働くことはしない。そのかわりノーブレスオブリージュといって戦さのときはまっさき駆けて突進するという。ロシアの貴族もそのまねをしたのだろうが、エカテリーナに遅れること百なん十年広瀬武夫の時代のペテルブルグの青年将校は朝寝夜ふかしはする、恋をするのも口先だけ、風雲急だというのに眼中国家あるものは一人もないとコヴァレフスキー少将の令嬢アリアズナに見限られている。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・02・16

2006-02-16 06:30:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

 「七平 戦前は百円(昭和五十七年の三十万円くらいか)や二百円の月給取りは税金なんか納めなくてよかった。不動産さえ持っていなければ一銭も払わなかった。これ驚くべきことですよ。税金がいらない世の中が、ついこの間まであったなんて。月給取りは給料も賞与も全部、耳をそろえて丸ごともらっていたんですよ。手の切れるようなお札で。
  夏彦 原稿料なんかも丸ごとくれた。税を一割差し引くってのは戦後ですよ。それで、中野重治が怒ったことがある。三千円の原稿料だというから書いたのに三千円ないじゃないか。
  七平 三千円の約束なのになんで二千七百円しかくれないのか。いや、一割 は税金でございます。なんで、あんたンとこが税金を差っぴくんだ。いや、これは納税責任者ってぇものがございましてね、私んとこで払わなければならない……。私が出版社に入った戦後すぐのころ、何度も押し問答がありましたよ。そのくらい、戦前は税金を払う人は限られていた。
  夏彦 そのかわり、国はなんにもしてくれなかった。病気になっても健康保険はない、失業しても失業保険はない。年とっても年金はない。だから税金はとらない。税金とらないかわり何もしてくれない政府がいいか、税金をとるが何かと世話してくれる政府がいいか、戦後日本人は選択を迫られ、税金を納めて世話してもらうほうをとったんですよ。自分で選択したのを忘れちゃいけない。
    僕は個人の運命の責任は個人にあって、国にはないと思っていますから、『高い政府』より『安い政府』のほうがいいと思いますけれど、賛成者はほとんどない。だから今後とも私たちはいよいよ税金をとられるでしょう。」

  (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・02・15

2006-02-15 06:30:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「それ者という言葉は花柳界が滅びると共に死語になった。玄人のことである。芸娼妓のことである。素人と玄人の区別がなくなったのは、何より貧乏がなくなって、皆が皆高校大学へ行くようになってからである。貧乏はいつまであったか。高度成長というより東京オリンピック(昭和三十九年)までといったほうが早分りである。それまでは早く戦前に返りたいと言ったが、以後はもう戦後ではないと言った。戦前に追いついて追いこしたからである。
 戦前は貧乏人の子だくさんで、子は六人も七人もいたから、食べさせるだけで精いっぱいである。小学校は義務教育だから仕方がない、卒業を待って男の子は口べらしにすぐ奉公に出した。女の子は『おしん』のような守っこ(子守)に出した。
 すこし器量がいいと芸者の下地っ子に三年か四年、百円か二百円の前借で年季奉公に出した。数え十六になると芸者にした。その時はまた改めて前借できたから、女の子が生れると喜ぶ親があった。慶(桂)庵または女衒(ぜげん)といって毎年娘を買いにくる周旋人がいたからそれに頼んだ。」

   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・02・14

2006-02-14 06:25:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『水に落ちた犬を打て』と私が言っても信じないだろうから魯迅が言っていると書いたら、それでも落ちた犬なら助けてやるのが人情ではないかといわれた。
 私は朝日新聞と岩波書店を水に落ちた犬にたとえた。朝日、岩波は酷似した存在である。正義と良心を売物にしてなん十年になる、それを難ずるのはながくタブーだった。誰が禁じたのでもない、インテリが自ら禁じた。各界名士は朝日に登場してはじめて名士である、主人と家来の仲に似ていた。
 すべて原稿は掲載されることを欲する。朝日や岩波に依頼されて、両社に気にいらぬ原稿を書く名士はいない。両社が中国(またはソ連または北朝鮮)べったりのときはべったりの原稿を書く。中国には蠅が一匹もいなかったというが如しである。これを迎合という。」

 「敗戦直後、進駐軍は獄中のひとにぎりの共産党員を釈放した。彼らは凱旋将軍のように迎えられた。もと転向者は彼らのもとにはせ参じてまず新聞社を乗っとった。お忘れだろうが読売新聞である。あらゆる大企業に労働組合をつくらせ、その牛耳をとった。最も成功したのは教員組合で、小中学生に社会主義を吹き込んだ。
 社会主義は貧乏と病気がないと育たない。この十なん年貧乏がなくなって日教組に入党するものは激減した。すなわち水に落ちた犬である。けれども次なる教育のプリンシプル(心棒)がないかぎり過去の惰性で社会主義教育をするよりほかない。いまだに日の丸君が代反対しているのはそのせいである。
 私はこのなん年来二十代の女子社員二人と対談で『戦前という時代』を再現しようと試みているが、彼らが骨の髄から日教組育ちであることを肝に銘じた。文部省や新聞社のデスクも同じである。水に落ちた犬なら打たなければならないゆえんである。
 彼らは何ごとも話しあいで解決できると信じている。ソ連とアメリカはできるか、韓国と北朝鮮はできるか、慰安婦強制連行はあったという派となかったという派は話しあいできるか、そもそも夫婦の間で話しあいができるかというと一笑するが、話しあいを否定されることはまず不愉快なのである。
 ペルリの来航と同じくソ連あるいは中国の軍艦二、三隻東京湾で空砲を放ち上陸したとせよ、社会主義べったりの彼らは歓迎にかけつけ、社会主義政権を樹立してもらって、その功によって大臣にでも任命されるつもりだったのだろう。資本主義の属国から社会主義の属国に変るのである。それがこの五十年の騒ぎである。まさかと笑うがそれなら自分の国は自分で守るか。私はこんなに露骨に言うつもりではなかった。二人の社員とのやりとりの珍なることを紹介して笑ってもらうつもりだった。いずれ試みたい。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・02・13

2006-02-13 08:40:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ある種の動植物が全地球を覆うことはない。一時覆ったように見えても忽ち滅びる。イナゴの大群が畑を襲うと天日ために暗くなるという。この世の終りかと案ずるには及ばない。イナゴは畑を食いつくすとこんどはバタバタ倒れて死んでしまう。ゴキブリもそうである。次はゴキブリの天下かと恐れられたが近ごろ勢いがない。テレビのコマーシャルに出てないようなのでそれと知られる。
 イナゴは満腹したあげく死ぬのである。苦しむのは人間だけである。イナゴの天国だの雀の天国だのがないように人間の天国もまたないと堀秀彦が言うように私も思っている。
 実を言うと私は死ぬのが大好きなのである。浮世は生きるに価しないとは再三言った。思いおくことさらにないという心境である。それにしては生きすぎた。『おいくつです?』と問われると、このごろ私は言下に『百』と答えることにしている。
 人の年を知りたがるのはその背後に死を見るからで、自分より年上だと自分よりさきに死ぬと安心する。バカだな老少不定(ふじょう)というではないか。こんなことを言うのは私はつい四、五日前死にかけたからである。救急車に頼んでわが馴染の赤坂の前田病院にかけつけてもらった。『うっ』といってこれで死ねるかこれなら楽だ、しめたと思ったが、その間心臓が正しく働いているのを感じて大丈夫だと知った。退院して両三日になる。」


  (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・02・12

2006-02-12 07:07:00 | Weblog
 
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「産業革命以後人間は何をしてきたか。何度も言うが時間と空間を無限に『無』に近づけた。まっさきに成功したのは電話である。ファクスである。機械あれば必ず機事ありと古人が言ったのはこのことである。
 世界中がいっせいに無にすることに成功する日は近い。今こそ哲学と宗教の出る幕なのにそれは出る見込がない。全くない。出てくるとすれば淫祠邪教である。そもそも哲学に、宗教に絶望して生じた機械信仰である。今さらもとへは戻れない。時間はもうない、21世紀は来ないというゆえんである。
 ほら来たじゃないかと一両年経って私を嗤(わら)ってはいけない。私は象徴的な意味で21世紀と言っているのである。ある種の動物が全地球を覆ってわがままの限りを尽して許されるということはないのである。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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何用あって月世界へ 2006・02・11

2006-02-11 07:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「江戸の大衆は役人は賄賂をとりたがるもの、責めるはヤボ、いくら取りかえても同じことだと言って笑った。自分もその席にすわれば必ずとる賄賂だと知っての上の笑いである。深くとがめないのは文化なのである。
 機械アル者ハ必ズ機事アリ 機事アル者ハ必ズ機心アリ(荘子)というのは繰返すが私の大好きな言葉である。人間の知恵は孔孟老荘、諸子百家に尽きている。西洋ならソクラテス、プラトン、おおあのイソップに尽きている。
 健康な人は本を読まない。読まないが人倫五常は知っている。風のたよりで知っている。本を読む人の書いたシェイクスピアや近松の芝居を通じて知っている。」

 「私は老荘の徒であるが、孔孟あっての老荘でいわば異端である。そしてこれも繰返すが孔子の子は孔子ではない。一からやりなおして孔子の域に達することはおぼつかない。尭の子尭ならずと古人は一言で言った。
 再三言うが人は哲学に絶望して目を機械に転じたのである。蒸気機関は一度(ひとたび)発明されればずっしりと存在するばかりか、跡継はそこから出発することが出来る。これにとびつかないでいられようか。
 今はそれが嵩じた時代である。『何用あって月世界へ』と昭和三十六年地球は青かったと世界中が騒いだとき私は書いた。これだけで分る人には中学生でも分る。六十七十の老人でも分らぬ人には分らぬ。年齢というものはないのである。私は月世界旅行に何の関心もないからさらなる他の衛星への旅にも関心がない。
 それより目下の急務は原水爆である。出来たものは出来ない昔に返れないという鉄則があることは何度もいった。ゆえに原爆許すまじと言うのはたわごとである。思想というものは大は原爆を、小はテレビを否定することができる。それを納得させることはできる。けれども取上げることはできない。
 かくてテレビはいよいよテレビに、原爆はいよいよ原爆になるよりほかない。小国が持つことを大国がさまたげるのは我々が文明人の皮をかぶった野蛮人である証拠である。わが胸の底にあるのは昔ながらの色と欲である。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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カセグニ追イツク貧乏多シ 2006・02・10

2006-02-10 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ワイロほどいいものはない、税金のかからぬ唯一の金であるリベートやワイロを貰わないのは、貰う椅子に坐れなかったにすぎないと言えば立腹するなら試しに坐ってみよ
 新聞読者の百人中九十九人は坐れなかった者だから、新聞は高位高官の醜聞を好んであばくあばいて直となすのは読者をタダで正義漢にしていい気持にさせるためで、読者はやみやみその手に乗って朝ごとに立腹をあらたにして快をむさぼるのである
 江戸の町人は怒らなかったはるかに人間を知ってこれらすべてを笑いにした文化国家というが現代にくらべて江戸時代ははるかに文化国家だった何よりまじめをヤボとみた、文学を風流韻事とみた、従って政治に関与しなかった処士横議することは武士にまかせて川柳、狂歌、『学』のあるものは狂詩をつくって笑った狂詩は漢詩のパロディである。」

 「一例をあげる。蜀山人の別名寝惚先生杜甫の『貧交行』君見ズヤ管鮑貧時ノ交リ 此ノ道今人棄テテ土ノ如キを『貧鈍行』ともじって貧スレバ鈍スル世ヲ奈何(いかん) 食ウヤ食ワズ吾ガ口過(くちすぎ) 君聞カズヤ地獄ノ沙汰モ金次第 カセグニ追イツク貧乏多シと。

   焼野曲(自棄(やけ)の曲)  愚仏先生
  金持矢張飯三杯  金持矢ッ張リ飯三杯
  銭無矢張飯三杯  銭無矢ッ張リ飯三杯
  酔暮一寸先闇   酔ッテ暮セ一寸先ハ闇
  雖不搗餅正月来  餅ヲ搗カズト雖モ正月ハ来(クル)


 愚仏先生は若くして死んだ、経歴は不明とものの本にある
 私には浮世は人体を模して出来ているように見える文化は清潔なところでは育たない大都会にはスラムがなければならないだまされてはいけない島崎藤村は姪に子を生ませてそれを『新生』に書いて人格者になりすました今も人格者だと信じられている稀有な人である藤村は『夜明け前』と題した明治は明るく江戸はまっ暗だといわんばかりである言えば読者が喜ぶいい題である迎合である藤村はすぐれたジャーナリストだった。」

 「文化はまじめ人間の下では栄えない。」


  (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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この世にニュースはない 2006・02・09

2006-02-09 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『自分のことは棚にあげ』というこの六月下旬(平成八年)に出る新刊のタイトルを『死ぬの大好き』に改めたのにはわけがある。」

 「人はすべて自分のことは棚にあげて他を難ずる存在である。私は棚にあげないことを唯一の取柄とする者だから、このタイトルはふさわしくない。読了して反語に似たものかと気がついてもまあ手遅れである。
 朝ごとに新聞を見てリベートやワイロを貰った高位高官を非難する読者は、貰う席に坐れなかった人で、坐ればとるにきまっている。むろん私もとる。あれは税金を奪われない唯一の金だ、くれないから貰わないだけなのに新聞は読者を自動的に正義漢にできるから朝ごとに書く。正直者はバカを見ると書くのも、読者はみな正直だったから貧しいのだという迎合である。
 正義と良心を売物にするのは恥ずべきことだ、五・一五や二・二六事件の青年将校は正義と良心のかたまりだった。正義は老齢の犬養を、高橋を殺した。万一天下をとったらまっさきに粛清しなければならないのは同志だという自覚さえないほど彼らは正義だった、当時の新聞は彼らの味方で、テロはいけないがその憂国の志は諒とすると書いた。
 昔のことではない。朝日新聞は文化大革命を支持した、毛沢東に次ぐ林彪の死を秘した。新聞の命はインキの臭いのする二時間だ、読者がたちまち忘れることをあてにして書いている。それもこれも中国の機嫌を損じることを書くと特派員が追放されるからだ。産経新聞は最も早く追放されたが、特派員なんかいなくてもよい記事は書けるのである。『人民日報』その他にこの何カ月林彪の名を見ない。何事かおこっている。いつから見なくなったかさかのぼって『失脚か』と書くことができるのである。」

 「朝日は文化大革命を『造反有理』といって支持した。大虐殺をしたポル・ポト政権をかばった。社会主義は善玉で資本主義は悪玉だという図式に従って他の発言を封じた。
 最も成功したのは日教組を手なずけて生徒に国歌と国旗を憎悪させたことである。試験は朝日から出るぞと教員に吹きこませたことである。日教組の力はすでに衰えたと言うものがあるがそうでない。いま新聞、会社、諸官庁、ことに外務省文部省のデスクは日教組の申し子に占められている。」

 「私は五・一五事件のときはパリにいたが、二・二六事件のときは東京にいた。前の晩の大雪をおぼえている。第一報に接したときは『まさか』と思った。人は食えるかぎり革命はおこさない、昭和十一年は食えたのである。」

 「情報はただダブるだけである。試みに朝五時のニュースと六時のそれと七時ののそれを見よ、全部同じであること新聞の早版遅版の如しである。天が下に新しいことはないのだから、この世にニュースはないのである。それをあるように見せるのがジャーナリズムなのである。」


  (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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