今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「槌田満文著『名作365日』(講談社学術文庫)はフシギな本である。東京新聞夕刊にまる一年連載したものを、まとめて一冊にした本である。もし今日が一月十七日ならその日の紙面に一月十七日の日付が出ている小説を、ほとんど無限の作品中からさがしだして毎回四五〇字にまとめたものである。
一月十七日なら尾崎紅葉の『金色夜叉』にある。『宮さん、来年の今月今夜、さ来年の今月今夜、十年後の今月今夜、おれは一生を通じて、今夜のことを忘れない。忘れるものか、来年になったらきっとおれの涙で月をくもらせてみせる云々』という名高いせりふがあるから私だって書けるが、あくる一月十八日になると忽ち行詰る。それがこの本には365日一日も欠かさず揃っているのである。
たとえば七月七日の項を見ると、大田洋子の『残醜点々』という小説のなかから抜いてある。大田洋子は広島で被爆してなお何年か生きて小説を書いたひとである。『一九五一年七月七日の日暮れバラック街の軒下には、七夕竹が立ちならんだ。宝船、星、ちょうちんなどが、色とりどりの短冊とともに、青い笹の葉でひらひらとゆれている。その中には原爆で両親を失った子供が書いたのか「お父さん」「お母さん」とだけ記された短冊も下っていた』。
それにしてもまる一年である。新聞がお休みの日にはあくる日のぶんまで二日ぶん並べた。首尾よくみんな並べても文学的には何の業績にもならない。何というフシギな情熱だろう。」
(山本夏彦著「世はいかさま」新潮社刊 所収)