「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ドミ・モンド 2006・02・19

2006-02-19 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から昨日の続きです。

 「芸術家はもと貴族の奉公人同然だった。映画の時代になって大金をとるようになると役者は上流に似た者になった。
『なんの芸人づれが』とかげでは言っても表では言わなくなった。そのうち勲章をもらうまでになって尊敬されるようになった。芸人に対する敬語の変りようを見るとこの半世紀が分る。今は多く先生と言っている。大正十二年の震災まで一流の劇場には『芸人控所』と書いてあった。
 それなのにデヴィ夫人はアメリカの社交界で侮辱された。面と向って醜業婦よばわりされたのである。初めてである。これはまだ社交界の面目がわずかに残っていることを示す。
 デヴィ夫人は昭和十五年東京で生れた、父親は大工、長じて赤坂のナイトクラブ『コパカバーナ』のホステスになって、インドネシアのスカルノ大統領に見そめられ、その第三夫人になった。これで社交界のメンバーになる資格が生じたとデヴィ夫人は思ったが、むろん思わないものがあった。
 クラブのホステスは客と寝室を共にして、そのつど金をもらうと信じられている。即ち醜業婦だと罵られたからカッとなってシャンパングラスを投げつけ、相手の女に傷を負わせ禁固六十日の実刑と罰金を科せられた。
 デヴィ夫人は不服である。女はみな金と力になびく。社交界の上流夫人とホステスとどこが違うかというが違うのである。マルグリット・ゴーチェこと椿姫は社交界に入れなかったし、入ろうとも思わなかった。モンドに対するドミ・モンド(半社交界)は舞踏会を主催できるが、そして貴族の客も来るが、その雰囲気は尋常ではない。
 デヴィ夫人は大統領の第三夫人としてながくちやほやされていたので気がつかなかった。あるいは気がつかないふりをしていた。ここはお前の来るところではないぞと言われて逆上したのである。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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