今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「『自分のことは棚にあげ』というこの六月下旬(平成八年)に出る新刊のタイトルを『死ぬの大好き』に改めたのにはわけがある。」
「人はすべて自分のことは棚にあげて他を難ずる存在である。私は棚にあげないことを唯一の取柄とする者だから、このタイトルはふさわしくない。読了して反語に似たものかと気がついてもまあ手遅れである。
朝ごとに新聞を見てリベートやワイロを貰った高位高官を非難する読者は、貰う席に坐れなかった人で、坐ればとるにきまっている。むろん私もとる。あれは税金を奪われない唯一の金だ、くれないから貰わないだけなのに新聞は読者を自動的に正義漢にできるから朝ごとに書く。正直者はバカを見ると書くのも、読者はみな正直だったから貧しいのだという迎合である。
正義と良心を売物にするのは恥ずべきことだ、五・一五や二・二六事件の青年将校は正義と良心のかたまりだった。正義は老齢の犬養を、高橋を殺した。万一天下をとったらまっさきに粛清しなければならないのは同志だという自覚さえないほど彼らは正義だった、当時の新聞は彼らの味方で、テロはいけないがその憂国の志は諒とすると書いた。
昔のことではない。朝日新聞は文化大革命を支持した、毛沢東に次ぐ林彪の死を秘した。新聞の命はインキの臭いのする二時間だ、読者がたちまち忘れることをあてにして書いている。それもこれも中国の機嫌を損じることを書くと特派員が追放されるからだ。産経新聞は最も早く追放されたが、特派員なんかいなくてもよい記事は書けるのである。『人民日報』その他にこの何カ月林彪の名を見ない。何事かおこっている。いつから見なくなったかさかのぼって『失脚か』と書くことができるのである。」
「朝日は文化大革命を『造反有理』といって支持した。大虐殺をしたポル・ポト政権をかばった。社会主義は善玉で資本主義は悪玉だという図式に従って他の発言を封じた。
最も成功したのは日教組を手なずけて生徒に国歌と国旗を憎悪させたことである。試験は朝日から出るぞと教員に吹きこませたことである。日教組の力はすでに衰えたと言うものがあるがそうでない。いま新聞、会社、諸官庁、ことに外務省文部省のデスクは日教組の申し子に占められている。」
「私は五・一五事件のときはパリにいたが、二・二六事件のときは東京にいた。前の晩の大雪をおぼえている。第一報に接したときは『まさか』と思った。人は食えるかぎり革命はおこさない、昭和十一年は食えたのである。」
「情報はただダブるだけである。試みに朝五時のニュースと六時のそれと七時ののそれを見よ、全部同じであること新聞の早版遅版の如しである。天が下に新しいことはないのだから、この世にニュースはないのである。それをあるように見せるのがジャーナリズムなのである。」
(山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
「『自分のことは棚にあげ』というこの六月下旬(平成八年)に出る新刊のタイトルを『死ぬの大好き』に改めたのにはわけがある。」
「人はすべて自分のことは棚にあげて他を難ずる存在である。私は棚にあげないことを唯一の取柄とする者だから、このタイトルはふさわしくない。読了して反語に似たものかと気がついてもまあ手遅れである。
朝ごとに新聞を見てリベートやワイロを貰った高位高官を非難する読者は、貰う席に坐れなかった人で、坐ればとるにきまっている。むろん私もとる。あれは税金を奪われない唯一の金だ、くれないから貰わないだけなのに新聞は読者を自動的に正義漢にできるから朝ごとに書く。正直者はバカを見ると書くのも、読者はみな正直だったから貧しいのだという迎合である。
正義と良心を売物にするのは恥ずべきことだ、五・一五や二・二六事件の青年将校は正義と良心のかたまりだった。正義は老齢の犬養を、高橋を殺した。万一天下をとったらまっさきに粛清しなければならないのは同志だという自覚さえないほど彼らは正義だった、当時の新聞は彼らの味方で、テロはいけないがその憂国の志は諒とすると書いた。
昔のことではない。朝日新聞は文化大革命を支持した、毛沢東に次ぐ林彪の死を秘した。新聞の命はインキの臭いのする二時間だ、読者がたちまち忘れることをあてにして書いている。それもこれも中国の機嫌を損じることを書くと特派員が追放されるからだ。産経新聞は最も早く追放されたが、特派員なんかいなくてもよい記事は書けるのである。『人民日報』その他にこの何カ月林彪の名を見ない。何事かおこっている。いつから見なくなったかさかのぼって『失脚か』と書くことができるのである。」
「朝日は文化大革命を『造反有理』といって支持した。大虐殺をしたポル・ポト政権をかばった。社会主義は善玉で資本主義は悪玉だという図式に従って他の発言を封じた。
最も成功したのは日教組を手なずけて生徒に国歌と国旗を憎悪させたことである。試験は朝日から出るぞと教員に吹きこませたことである。日教組の力はすでに衰えたと言うものがあるがそうでない。いま新聞、会社、諸官庁、ことに外務省文部省のデスクは日教組の申し子に占められている。」
「私は五・一五事件のときはパリにいたが、二・二六事件のときは東京にいた。前の晩の大雪をおぼえている。第一報に接したときは『まさか』と思った。人は食えるかぎり革命はおこさない、昭和十一年は食えたのである。」
「情報はただダブるだけである。試みに朝五時のニュースと六時のそれと七時ののそれを見よ、全部同じであること新聞の早版遅版の如しである。天が下に新しいことはないのだから、この世にニュースはないのである。それをあるように見せるのがジャーナリズムなのである。」
(山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)