下呂市保井戸の集落と門原の岩壁の間に、岐阜県で最も古い自動車隧道があることを知っている人は、どれだけいるのだろう?
トンネルの脇を国道41号線が走っていて、今では廃道ですが、トンネルだけは残っています。
普段は、門原トンネルの脇を素通りするだけで立ち寄ることは無いのですが、先日は自転車で通りかかったこともあり、久しぶりに立ち寄ってみました。
素ぼりの復員4.5m、高さ4.5mのトンネルを見ると、かつて車が本当に走っていたの?と思います。
トンネルが開通するまでは、幅が1.5mの岩を削っただけの道で、人馬の転落事故が後を絶たなかったという交通の難所。
今では、想像できないことですが今から100年近く前の交通の難所だったことを実感させてくれます。
あと、開通したのは1916年となっていて、高山線の焼石~下呂区間の開業の1930年より速いのです。
この隧道の開通が、高山線の建設に大きな役割を果たしたのかな?と思いながら写真をとりました。
こんなトンネルの近くに、今年の夏、下呂保井戸と金山町岩瀬を結ぶ「ささゆりトンネル」が開通しています。
新旧、双方のトンネルを比べてみると土木技術の発達を実感することができます。
最後となりますが、門原トンネルの抗口には、お地蔵がひっそりと鎮座しています。
今も昔も、交通の往来の安全を見守っていると思いながら手を合わせてから、更に南に自転車を走らせたのでした。(管理人)
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今では、想像できないことですが今から100年近く前の交通の難所だったことを実感させてくれます。
あと、開通したのは1916年となっていて、高山線の焼石~下呂区間の開業の1930年より速いのです。
この隧道の開通が、高山線の建設に大きな役割を果たしたのかな?と思いながら写真をとりました。
こんなトンネルの近くに、今年の夏、下呂保井戸と金山町岩瀬を結ぶ「ささゆりトンネル」が開通しています。
新旧、双方のトンネルを比べてみると土木技術の発達を実感することができます。
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