実は私は今年の春まで南木曽岳に登ったことが無く未知の山でした。
そんな南木曽岳に行こうと思ったのは今から4年ほど前、私が御嶽山麓で見ることができないコウヤマキが木曽五木であることが疑問だという話をしたところ、南木曽岳に見事なコウヤマキ林があるよと言われたことがきっかけです。
なかなか行く機会が無く今年の春に出かけて蘭登山口から登った時に出くわしたコウヤマキ林が本当に見事であったことが強く印象に残り先日も出かけたというわけです。
コウヤマキは耐陰性が高い一方で成長が遅いためなかなか優占種となりにく樹種かと思うのですが胸高直径が1mを越える巨木といっても遜色のないコウヤマキが沢山あるのです。
その様を見てコウヤマキが木曽五木となったことに納得をしたのでした。
そんなコウヤマキは今では数が少なく資源として活用するの今では難しいというのが私の実感です。
最も身近な利用は高野山の仏花として枝が使われること。高野山に限らず岐阜県内の道の駅などで仏花として販売されているのを見かけることがあります。
岐阜県内でも南木曽岳ほどでは無いですがコウヤマキが数多くあるところがあるため、仏花として枝を高野山に販売しているという話を聞き採取と仲卸の仕事をしている方もいるといるということです。
そんなことでお金になることもあり時折コウヤマキの枝の盗伐があるという物騒な話も耳にすることがあります。
岐阜県内での分布は東部から中部に多く東農地方、下呂市南部、郡上市南部で特によく見かけます。特に私が印象に残っているのは下呂市の中山七里、郡上市の東殿山で見事なコウヤマキを見かけます。中山七里や東殿山は国有林ではあり枝が出荷されることはありませんが下呂市南部、郡上市南部で高野山へ枝の出荷の話をよく耳にします。
標準和名はコウヤマキですが様々利用があるコウヤマキには他の呼び名があり、東濃地方や下呂市ではクサマキと言われていました。
その呼び名を知らなかった今から20数年前に旧の坂下町(現中津川市)の方からクサマキを挿し木で増やそうと思ってやっているがうまく行かないと言われました。
その時、何で?と思いその方のお宅に訪問したところコウヤマキの挿し木があるのを見て、あ~コウヤマキのことかと東濃地方の方言であることを知りました。
それから何年か経過して益田郡誌を見る機会があり読み進めると草槇(高野槇)と記載されているを見て旧の益田郡(下呂市)でもクサマキなんだということを知りました。
標準和名をつけるにあたり有名な高野山にちなんだ名にしたんだなと思っているところです。調べればその他の名もあり面白いだろうな思います。
あと、木材の利用ですが耐水性が高く腐りにくいという特徴があります。
様々な資料に目を通すと古墳時代や弥生時代には高貴な方の棺として使われていたというのを目にします。
私が学生時代に棺の材料は腐りやすいモミと習いました。まったく違う性質です。早く土に帰るという考えだとモミのほうが適していると思うのですがコウヤマキが使われたということは亡骸をいつまでも残したいという考えになります。時代の変遷により考え方が違うということでしょうか?
あと耐水性が高いことから和船の材料として使われ、長良川鵜飼の鵜船はコウヤマキが使われているということですので実際の木材利用を見たい方は長良川鵜飼に出かけられるとよいでしょう。(鵜飼ミュージアムにコウヤマキが材料として使われている展示がありますので機会があったら立ち寄ってみてください)
樹皮についても利用があり繊維を取り出し和船の隙間の目止めに使われたということです。
今年、平成から令和になり皇族の方々のことが話題となりますが悠仁親王のお印となっていますのでコウヤマキのことをよく知らなくても名だけを知っている方は多いのではないでしょうか。
色々とコウヤマキのことを書き綴りましたが私は未だ高野山へ行ったことはありません。標準和名の由来となった高野山へ行かないといけないな~と漠然と思い出しました。
樹種は違いますがヒノキは紀伊半島でみるのと岐阜県内でみるのでは遺伝による樹形の差が認めらます。コウヤマキについても地域による個体変異があるのではないかという疑問もあることから行ってみたいな~とマニアックな理由で訪ねることになるでしょう(笑)(管理人)
先日出かけた南木曽岳のコウヤマキの写真です。歩いてみると幼樹もあり更新する環境が整っています。現地は保護林となっていることからよほどのことが無い限りコウヤマキ林として存続し続けるであろうと思います。
樹皮
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村のいろいろなランキングに登録してみました。
ポチッとしてくれると、嬉しいです!!
そんな南木曽岳に行こうと思ったのは今から4年ほど前、私が御嶽山麓で見ることができないコウヤマキが木曽五木であることが疑問だという話をしたところ、南木曽岳に見事なコウヤマキ林があるよと言われたことがきっかけです。
なかなか行く機会が無く今年の春に出かけて蘭登山口から登った時に出くわしたコウヤマキ林が本当に見事であったことが強く印象に残り先日も出かけたというわけです。
コウヤマキは耐陰性が高い一方で成長が遅いためなかなか優占種となりにく樹種かと思うのですが胸高直径が1mを越える巨木といっても遜色のないコウヤマキが沢山あるのです。
その様を見てコウヤマキが木曽五木となったことに納得をしたのでした。
そんなコウヤマキは今では数が少なく資源として活用するの今では難しいというのが私の実感です。
最も身近な利用は高野山の仏花として枝が使われること。高野山に限らず岐阜県内の道の駅などで仏花として販売されているのを見かけることがあります。
岐阜県内でも南木曽岳ほどでは無いですがコウヤマキが数多くあるところがあるため、仏花として枝を高野山に販売しているという話を聞き採取と仲卸の仕事をしている方もいるといるということです。
そんなことでお金になることもあり時折コウヤマキの枝の盗伐があるという物騒な話も耳にすることがあります。
岐阜県内での分布は東部から中部に多く東農地方、下呂市南部、郡上市南部で特によく見かけます。特に私が印象に残っているのは下呂市の中山七里、郡上市の東殿山で見事なコウヤマキを見かけます。中山七里や東殿山は国有林ではあり枝が出荷されることはありませんが下呂市南部、郡上市南部で高野山へ枝の出荷の話をよく耳にします。
標準和名はコウヤマキですが様々利用があるコウヤマキには他の呼び名があり、東濃地方や下呂市ではクサマキと言われていました。
その呼び名を知らなかった今から20数年前に旧の坂下町(現中津川市)の方からクサマキを挿し木で増やそうと思ってやっているがうまく行かないと言われました。
その時、何で?と思いその方のお宅に訪問したところコウヤマキの挿し木があるのを見て、あ~コウヤマキのことかと東濃地方の方言であることを知りました。
それから何年か経過して益田郡誌を見る機会があり読み進めると草槇(高野槇)と記載されているを見て旧の益田郡(下呂市)でもクサマキなんだということを知りました。
標準和名をつけるにあたり有名な高野山にちなんだ名にしたんだなと思っているところです。調べればその他の名もあり面白いだろうな思います。
あと、木材の利用ですが耐水性が高く腐りにくいという特徴があります。
様々な資料に目を通すと古墳時代や弥生時代には高貴な方の棺として使われていたというのを目にします。
私が学生時代に棺の材料は腐りやすいモミと習いました。まったく違う性質です。早く土に帰るという考えだとモミのほうが適していると思うのですがコウヤマキが使われたということは亡骸をいつまでも残したいという考えになります。時代の変遷により考え方が違うということでしょうか?
あと耐水性が高いことから和船の材料として使われ、長良川鵜飼の鵜船はコウヤマキが使われているということですので実際の木材利用を見たい方は長良川鵜飼に出かけられるとよいでしょう。(鵜飼ミュージアムにコウヤマキが材料として使われている展示がありますので機会があったら立ち寄ってみてください)
樹皮についても利用があり繊維を取り出し和船の隙間の目止めに使われたということです。
今年、平成から令和になり皇族の方々のことが話題となりますが悠仁親王のお印となっていますのでコウヤマキのことをよく知らなくても名だけを知っている方は多いのではないでしょうか。
色々とコウヤマキのことを書き綴りましたが私は未だ高野山へ行ったことはありません。標準和名の由来となった高野山へ行かないといけないな~と漠然と思い出しました。
樹種は違いますがヒノキは紀伊半島でみるのと岐阜県内でみるのでは遺伝による樹形の差が認めらます。コウヤマキについても地域による個体変異があるのではないかという疑問もあることから行ってみたいな~とマニアックな理由で訪ねることになるでしょう(笑)(管理人)
先日出かけた南木曽岳のコウヤマキの写真です。歩いてみると幼樹もあり更新する環境が整っています。現地は保護林となっていることからよほどのことが無い限りコウヤマキ林として存続し続けるであろうと思います。
樹皮
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村のいろいろなランキングに登録してみました。
ポチッとしてくれると、嬉しいです!!