既に、1週間以上前のこととなってしまいましたが、信州と遠州の境にある兵越峠を自転車で越えました。
行く前は青崩峠のう回路というイメージを頭の中にこびりつかせていきました。
それは秋葉街道というものを意識していたから。
実際、越えてみての印象は兵越峠のほうが魅力的です。
その一つが「峠の国盗り綱引き合戦」これは水窪の方々が遠州軍、南信濃の方が信州軍となり綱引きをして領地を決めるというイベント。
この綱引きは全国的にも知られたイベントです。
現在は信州軍が4mほど遠州方面に領土を広げているということです。
この綱引きのことを、ちょっと調べていたら今から10年ほど前に下呂市に姫田忠義さんが講演で来られた時、講演とは別に話をする機会を得ました。
その時に山を挟んで共通する文化を有するということを話されたことを思い出しました。
昔は国境、今は県境となっていますが秋葉街道でつながっていた両地区が同じ文化を共有していたものと思います。
そういった共通の価値観が「峠の国盗り綱引き合戦」というイベントとなり現代によみがえったのかな?ということが頭の中に浮かんできたのでした。(管理人)
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