※今日の生き物
・今日は研究授業。国語。漢文。
・久しぶりに授業風景の写真をアップしました。いいものです。実に生徒との交流をされている先生方を拝見することは、こころの癒やしになります。人間は、人間であって、やはり関係性の中で生きていくしか無い。孤独に耐えながら、読書するのもいいのでしょうが、人間の荒波の中で鍛えられてこそ一人前であります。
・この今日の記事の写真でも、男の子が教え教えられている光景があります。これがいいのです。こういう関係は、こころが鍛えられる。こころが軟弱ですと、ちょっとわたくしは大いに激励をしたくなる。なぜか。
・こころというのは、常時危険であるからです。うぬぼれたり、他人が自分より劣って見えたり、何かというと毒気を自分自身にもたらすのです。友人と教え、教えられという関係からはそういう危険なところに突入するという可能性は薄い。
・心身二元論ということを言われた西洋の誰でも知っているデカルトという哲学者がいます。わたくしは、彼の考えに反対であります。心身は分化してとらえるのではなく、同時に発達していっていただきたいと思います。調和的に、です。
・これはこれくらいにします。ちょっと極端なことを言い始めてはなりませんから、この程度に。
・しかし、今日の漢文の授業は内容がとても面白いので、それこそ10代のころからそらんじていましたので、懐かしかった。項羽と劉邦の話であります。殆どこの時代については、登場人物も含めて夢中になっていろいろな参考文献を漁っていましたから、本当に楽しいのであります。
・わたくしは自分が劉邦型であることを自認しております。ですから、実にたわいもないことでありますが、劉邦のことが大好きなのであります。所詮、エリートである項羽とは相容れない。こうした、自己との比較をすることもできるから、漢文ではありますが楽しいのであります。
・授業終了後、担当の新進気鋭の先生が校長室にお見えになりましたので、授業の感想を述べさせていただき、そして在校生諸君になりかわって御礼を申し上げました。
・さらに俊秀でありますその先生に学ぼうとして、最近のわたくしの興味関心の対象である「往生要集」から見た世阿弥作と言われる能の「邯鄲」との比較について、その世阿弥作と言われることの真偽について、あるいは興福寺と春日大社の薪能発祥の伝説について質問をさせていただきました。楽しい対話をさせていただきました。
・こういうことを年齢に関わらず、談笑をさせていただくことができるのは、学校の職員であるからであります。ありがたいことであります。いい仕事をさせていただいてきたものであります。これこそ教職の魅力であります。
・明日は授業錬磨の日であります。いろいろな授業を参観させていただき、また勉強をさせていただきます。楽しみであります。実に今から楽しみであります。
・お休みなさい。
※勉強なさいませ