ファーストネームでボキを呼ぶ若い人たちと、語りあうことは楽しいもんである。
夕方である。17:16である。今日も千葉市で授業。これからも塾がある。楽しいものである。先週一週間中国に行っていて、休んだ。しかし、「タノシミにしているんだから休まないで」と言われてしまった。しかもファーストネームでボキを呼んでくれるのだ。さすがに「さん」はくっついているけど。
ありがたいものである。タノシミにしてくれているということがである。ますます生き生きとしてしまうではないか。ま、来なくてもいいと言われるよりはいいか(^_^)。
さらに、来月は仙台で通信制高校のスクーリングがある。行ってこなくてはならない。スクーリング専門の講師であるからだ。
今月は、歴史の会で史跡探訪もある。文化講座と古文書講座もある。これの手配もした。事務局長と一緒に。歴史の会では来月研究大会もある。茂原市である。タノシミにしている。こっちも。
しかし、活力がないとできませんなぁ。
ジジイにしては、珍しいタイプなのかもしれない。頼まれごとは全部引き受けて(物理的に無理な場合+借金の申し込みを除く)、本当に人の喜ぶこと、役に立つことをモットーにしているからだ。そして、ギラギラとした目をしない。淡々と生きている。
これが良いのかもしれない。あらゆる欲得感情を捨ててしまっているからだ。得とか損とか、そんなものはまったく考えない。
さすがに、仙台で授業をやってくるのは家人があきれていた。しかし、ボキのモットーは「頼まれごとは引き受ける」なのである。困っているからボキごときに頼んでくるのだ。助けてあげなくちゃ、アカンではないか。
ボキが困ったら、誰も助けてくれないではないか。相手にしてくれないかもしれないではないか。
もっともボキは年中困っているけどねぇ。博士にもなれなかったし。銭もないから。
わははっははっはははっははははっははっはははっははは。
家庭内でも不平不満は一切言わない。家人に言ったらバチがあたる。これまで何十年とお互いを大事にして家庭生活を優先して生きてきた。その結果が最近の海外旅行三昧のライフスタイルになっているのだ。感謝してもしきれないではないか。
元々は他人同士である。家人とは。生まれも育ちもまったく違う。故郷の米沢近郊にある赤湯温泉から集団就職列車で東京に出てきた田舎モンが、就職して九十九里浜に流れ着いただけである。それ以来、この土地に根付いているだけである。
要するに流れ者である。
よくまぁ、定年退職までもったものである。
ありがたいものである。
その結果が、今である。
さ、これからありがたく夕食をいただいて、塾のアルバイトに行く。ぼけ防止にもなる。自分のために、生徒のために。
ヾ(*´∀`*)ノ