人物であるかどうかというのが、他人を見るときの観点である。まさにそう思う。
人物を鍛えているかどうかということが一番の要である。得意な分野で、名をなしている御仁は多い。スポーツでもそうだ。なんとか賞をもらって、ふんぞり返って威張り散らしているのも多い。
ボキは、そんなアホな賞なんぞまったくご縁がないから威張り散らすわけにはいかない。
それよりなにより威張っている自称エリートたちにイヤミの一つでも言っていた方が気楽である。
「大学」という中国古典を8:50Amazonに発注した。これは若い頃からなんども読んできた。今度は文庫である。Amazonの古書であるから、安かった。明日来るらしい。ありがたいもんだ。こんな時代がくるとはねぇ。
若い頃は、漢文大系の「大学」を所有していた。これで飯を食っていたのだから、手元に置いて当然であった。しかし、肝要なのはボキの人物を鍛えていなかったということに気がついてしまったからである。もう一度読みたいと思ったからである。ノートを引っ張り出しても、「大学」の記述はなかった。
オノレを鍛えるという視点を失ったのだ。ジジイになったボキは。
まだまだである。まだまだ。
成長の過程にあるんですなぁ。
BYE-BYE!