おお、、、モーレツ
研究者というのは、自明のことを自明として、会話をしていかなくてはならない。つまり、知らないことがあっては研究者としていかがなものかということになる。
このことに気がついて愕然となった。ある若い研究者に、文学批評研究の理論書をご紹介いただいたのだ。
一言で言うとモーレツな本である。まるで百科全書的に、文学理論があふれ出ている。この本に出ているようなことは、知っていることが当然というスタンスであるから、愚生のような素人がわかるようにという配慮はない。まったくない。だから、わからない人は買わなくてもいいという本なのだろう。
しかし、買ってしまったから読んでみたのだが、かなり難解である。レヴィナス一人ですら理解できていない愚生では、それがすでに分かった状態であることが前提になって書かれているのではこりゃあ難物である。当たり前である。
学会の仲間内で通用する共通語で書かれているからだ。愚生のような、方言しか知らない人間にはムリだということなのだろう。
ハーバーマスのことも書かれていた。しかも、たった二頁。こりゃたまげた。一時期、ちょっと興味を持ったことがあって、三年前、ある専門家を訪問していろいろお聞きしたことがあった。これから勉強したいと申しあげたのである。そしたら、「と~ま君、ムリです、ムリ。90歳過ぎてもわからんでしょう」と言われたのだ。当然断念した。だって、90過ぎまで生きられるかどうかわからんではないか。
オレが、これから90過ぎまでかかっても生涯理解できないと言われたのに、たった2頁しか書いていないというところが、この本の高次な専門性なのである。敷居が高すぎるのだ。
学問をやり過ぎると性格が悪くなるとも言われる。たぶん当たっているかもしれない。
オレは、かなり性格が良い方だからである。つまり、学問をあまりして来なかったから性格が良いのだ。(^0^)
逆もまた真なりである。
こんな高度な、難しい本を読みこなせるだけ、たいしたものである。こういうレベルになるまでにどれだけ努力なされたのであろうか。凄い世界である。
書名はここに書かない。書くと失礼になるからだ。
もっとも、書いてもタブン相手にされないだろうけれども。
今日は午前中に授業をやっていたので、ちかれたべーだ。
こんなことを書いているから、知的エリートにはなれないんだな。あたりめーだ。暇だったら勉強せい!ってことだ。そういうことだ。そういうこと。
さ、これから夜の塾に行く。チューボーには、知っていて当たり前だろうという態度はとらない。オレは。
一緒に勉強させていただくからである。
じゃぁ・・・・・
(^_-)-☆