中根東里のところへ行ってきた。一番目の孫といっしょであった。栃木県は佐野市にある佐野市郷土博物館である。二冊ほど参考資料も求めてきた。あこがれの哲人である。拙ブログでも紹介したことがあるので、詳しくはそちらを見ていただければ幸甚である。
https://blog.goo.ne.jp/tym943/e/f71ad7c12e14095d064a760ce2e6ba4d
教育は愛であるということを実践された人である。なにしろひたすら自分の存在を消しまくっていたのだから恐れ入る。書いたモノなんか次から次へと焼却処分。江戸時代の鎖国政策の中で中国語をマスターしていたのだから、本当にこころの底から恐ろしい人だった。
それで長女の家に泊まっている間に孫を連れて行ってみたのである。
最初、佐野市役所に問い合わせたら、職員がだれも知らない。ありゃりゃだった。そこで教育委員会に内線を回してくれたがこっちも知らない。で、佐野市郷土博物館にさらに回してくれた。館長さんが出てくれた。たぶん学芸員なんだろう。この方は詳しかった。去年の10月に展示会も行われたと言われた。それで、今日孫と一緒に出かけますと申し上げた。あとはナビで行ける。
そしてルンルンと出かけた。有名な佐野厄除け大師のすぐ近くにあった。
入場料を支払ったら、なんと館長さんの直接のご指導をいただいた。これで望みがかなった。
中根東里は姪っ子を育てながら、生涯無名を通した人である。仏教学にも造詣が深かった。そして、ひたすらオノレの生きてきた証を消しまくっておられた方である。現代日本の三流学者にはまったくできない相談だろう。テメェの実績しかあたまの中にない連中とはレベルが違うからだ。それも三流大学の教授だとかいばってばかりいたら、アホではないか(^_^)。
ボキ?
ボキはその三流大学にも入れなかったけどねぇ。しかも苦学だ。能力もなければ、銭もなかった。あ、今でもそれはそうだけど。ついでに言えば、髪の毛もない。ナイナイづくしであるよん。
わははっははっははっははっっっははははっははっはははっははは。
で、サイゴッペ。
館長が途中でお客さんがきたというので、ボキと孫を残して去っていかれた。孫と一緒にいろいろ見てから帰ろうとした。そしたら玄関ホールに女性がいた。館長から言われた。テレビの取材を呼んであると言われた。孫を取材したいと言われた。コロナで休校になっているのに、感心な小学生がいるという設定であった。ジイジが行くかというから仕方なしについてきただけなのに。栃木テレビであった。孫は、うれしくなってノリにのっていた。
タノシイ日であった。
BYE-BYE!