不思議なことがあるものである。最近は八重山の神事のことを調べているが、なんだかいろいろと本での出会いがある。不思議なもので、これまでずっと愚生がやってきたことが、ほぼ間違いのなかったことであると気がついたのである。これは完全に石垣島に行ってみないとわからないことであったと感謝している。知らないでいたことだったのだが。
ベースになる本があるのだろう、こんなに毎日くだらないことを書いているのは・・・とよく言われるのだが、そんなことはない。ベースになる本のとおりに書いているんだったら、愚生の狭苦しい書屋はたちまちのうちに本だらけとなってしまうからである。実際読んでもいないのに、知ったかぶりをしているのが高校時代にいたが、文芸部の部室にある日のこと、くだんの彼が種本を忘れていってたちまちのうちに彼へのリスペクトが失せた。ほんとうなんである。文学の概論集であったのだ。これじゃぁ誰でも文学の知ったかぶりができるって思ったものだ、その時は。後年それもまた大事なことだったと気がついたけど。はははは
そういうことをやっちゃいけないと思っているから、愚生はやらない。当り前である。論文に書く以上、すべて原典にあたって、ページ数までメモをする。当然だろうと思う。根拠もなく、想像や予想で論文を書いてはならんのだ。競馬の予想屋じゃあるまいし。
ただし、綿密にノートやカードを、それこそ綿密にとることもしなくなった。もう時間がないのである。人生の時間が。いつ寿命がつきるかわからんではないか。本当に、安穏と過ごしていたら、自分が食われるのを知らない豚さんにも劣ると思うからだ。だから、メモは、いろいろなツールで(ポメラとかタブレットとかデスクトップとか)テキストファイルにしておく。キーワードや、著者名とか、出版社名とか、出版年とか、参照したい部分はざっと打ち込んでおく。後で検索をかけると、コンピュータだから出てくる。こいつはありがたいものである。
難儀なのが、仏教経典。難字のオンパレードである。しょうもないか・・・・。
よって、手書きのノートはとることはとるが、あまり活用していない。後で検索がきかないからである。さらに悪いことに、段ボール箱に行ってしまうことも多い。活用されないからである。比較的にカードは活用しているけれども。はがきサイズだから、はがき保存ファイルが安価に入手できる。これで持ち運びもしている。講義もカードでメモしている。徹底的にノートしたいものは、例のB5サイズ100枚ノートを使っている。あ、はがきカードは塾の指導のときにも使っている。生徒たちには、好評である。「手品カード」とも呼ばれている。ピンクの色を使っているから、記憶に残るのだそうな。しかも、100円ショップで非常に安い。ちょっとしたコツでもある。
けふは、広い院生室に博士後期課程の一年先輩と一緒に勉強させていただいていた。先輩は、年齢は愚生などよりずっと若いが、外国の外語大学の助教授である。要するに留学してきておられる。愚生も、これまでいろいろとご指導をいただいていた。たわいもないこともお話したが。しかし、さすがである。ものが違う。ワープロの論文作成上の愚生の悩みも聞いていただいた。脚注の縦書きの問題である。先輩の論文は出版社が訂正してくださるから、そんなことで悩んだことはなかったとのたもうていた。愚生の方は、つまらん話題であったけれども。いいヒントもいただいたから、ま、よしとしましょう。
世の中には、自分に安住せず、こうやって勉強している方がたくさんおられるのである。先週の土曜日にお会いした郵便局勤務の老年学博士後期の女性もそう。彼女は修士をとったときのやはり一年先輩である。凝り固まっているのが一番よくない。
一生安定した、あるいは安住できる仕事なんかないのと一緒で、常に自分磨きをしていないと、最後はどうなるかわからんですな。愚生も人のこたぁ言えないっすけどね。
なんにもなっていないんだから。
はははははははは・・・自嘲です。
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