と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

自分の生涯の校正をするかどうか

2012年12月03日 16時55分42秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

イギリスのジョン・クレアという詩人が、「もし生涯の第二版があるなら、私は校正をしたい」と言ったそうである。

今の長寿社会なら可能である。昔はできなかっただろうから、クレアさんはこう言ったのである。現代は可能である。愚生も、これまで過ごしてきた仕事人生を振り返ってみて、生涯という原稿を書き直したいという部分はいくらでもある。もうできないけどね。

現役を夢中で過ごしている時は気がつかないのだが、自分の長所も欠点もわからないまま、突っ走ってきてしまった。今は、よくわかるようになってきた。自己分析をする余裕が出てきたからである。それに生きる智慧もちょっとはついてきたらしいから。

退職は、自分に染みついた垢を落とすのにも実にいい転機である。現役の時は自分が退職して、この世界からいなくなってしまうということに考えが及ばない。「死」と一緒である。誰でも100%死ぬのに、まだ死なないと思っているというのと一緒である。

退職をきっかけに、これまでの生き方の総括をしてみるべきである。そんなことを聞いたし、確かに自分でもやってみた。

どこがよかったか?

逆にまずかったか?

自分はどういう程度の人間なのか?

つまり修理をするのである。車検をとるようなものだ。もっともそれで車検がとれなかったという可能性もある。ははははである。愚生がそうだからである。還暦だからもう完成したのではないかと、密かに思っていた。

そしたらとんでもないことで、修理をしていない部分がたくさんあったからである。部品の在庫が無くて、修理不可能なんだって・・・。こりゃぁ(*_*) マイッタ

校正ならできる。部品が無くても。訂正をしていけばいいからである。しかし、それ専用の筆記用具がないなぁと思う。残念だがそうだ。売っていないから。

訂正ではなくて、部品交換ではなくて、劣化した部分は捨てるしかないのかもしれない。まだまだ使える部品は大切に使っていきながら。

総括という言葉はあまり好きではなかったが、こういうときにはやってみてもいいことなのかもしれないと今日は考えた。

そんな程度のしょうもない話ではあるが。

 

さ、これからジムに行こうっと。

劣化したと~ま君の部品を磨きに。

 

(^0^)/ウフフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« つかず離れず | トップ | 12月3日(月)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

大学院博士ごっこ2012年から2015年」カテゴリの最新記事