要するに、このブログでつまらないことを題材に、いろいろ書いているのは、考え方をマスターしたいということである。まだ、こんなことを言っているんだから、お話にならない。完成というのが、無い。情けないけど、そうなのだ。
ベースには、考え方を変えれば、事態は好転するというのがあるからである。これはよくわからないが、カウンセラーのコツだそうである。国分康隆先生からお聞きもしたし、全著作から学んだことでもあった。
特に「ゲシュタルトの祈り」というものを教えていただいた時に、教師として脱皮できたと感じている。もう過去のものであるが。
仕方の無い時は、仕方が無いのである。
そういうことである。
そういう断念の仕方が、人生には幾たびも訪れる。期待されても、応援されてもできないときはできない。しかし、失敗が永久に続く訳ではない。学校で悩んでいる生徒に、あるいは国分康隆先生のように東京都の教育相談所で職場に適応できていない教職員の相談活動を行ってきた先生なりの、生き残るための大いなるコツが語られている。
ノートもとって、印象に残る言葉はカードに書いて常時携帯して持ち歩き、眺めたりしていた。
もしかしたら、愚生が人間関係に淡泊なのは、このゲシュタルト療法が影響しているのかもしれない。
これまで、劣等生で過ごしてきたし、周囲から期待されることもなかった。(今も、そうだケド)
さらに、愚生はよそ者であって、この居住地でのしがらみもない。ナイナイづくしである。差別も受けた。そりゃそうだろう。どこのもんだかわからないのだから。そんなことをいう輩のことは、せせら笑っていたのだけれど。身分制なんて言っても、言うほどの血脈があるのかということである。相手に。
オレはもっとないけど(^0^)
学歴もない。実力も無い。あらゆる親分・子分関係もない。こっちからごまをすって、スリスリと接近を図っていこうとはつゆほども思わなかった。だいいち、よそ者だから相手にされていないということは、よ~くわかっていたからである。
このゲシュタルトの祈りを教えていただいてから、生きていくのが楽しくなった。そして、学校現場での仕事も快適にできるようになった。
二律背反的な、こっちが善で、相手が悪者であるというような二者択一的思考の呪縛から卒業できた。だから上司の悪口ばかり言って、定年まで生きるというような、そういう他罰的な人生を捨てたのだ。なんでもかんでも他者が悪い、おめーの責任だという思考方法をとらなくなった。
こうなると逆に強い。
そんなタイプはあまりいないからである。独自性を発揮できるようになる。あるいは、組織をまとめることができるようになる。円滑にである。
そのあたりは、実は専門家と呼ばれる方々ほど苦手である。つまり自称学校秀才である。他称でもいい。誰しも認めるようなエリート校を出て、誰しもあれは将来出世するだろうと思い、思われている方々。
先鋭化しているから、周囲が見えない。それで自滅してしまう方もいる。自称他称エリートなのにである。才能がもったいないと愚生などは思うのだ。もったいない。ほんとうにもったいない。
学会などに出席させていただいていると、先鋭化しているから、まことに殺伐としている雰囲気のある学会がある。4つほど参加させていただいているが、これじゃぁ血圧がしんぺぇだろうなぁと思う時があるのだ。
スペシャリスト芸の域を出ていないと思うこともある。それでどこが悪い、って言われそうだけど。悪いと言っているのではなくて、専門家というのは、そういうものであると思っているのである。手工業の職人さんなのである。
8日、京都から千葉に帰ってくるときに、快速に乗って千葉まで来た。そのときに、三人掛けの椅子で、隣のお二人がどうも或大学の教授のようであった。同僚の論文の書き方について、いろいろなことを二人で熱く語っておられた。愚生は、ふむふむと聞こえてくるから、そのまま聞いていた。外国語文献の翻訳をしてそのまま講義に導入するのは中身がないとか言われていた。
そりゃそうだ。愚生だってそんなことはしない。もっとも、翻訳なんてできまへんが。(^0^)
これがいい例である。周囲が見えないのだ。誰が聞いているかわからんではないか。大学名はおっしゃっていなかったが、内容からして目星はついた。おそらく間違いはないだろう。異分野なので、名刺を差し上げようとも思わなかったが。
そういうものなのである。
そうやって大人になっていくのである。
なつかしいゲシュタルトの祈りのことを思い出して、以上のようなことを書かせていただいた。
GESTALT GEBET
ゲシュタルトの祈り
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。Frederick Perls
フレデリック・パールズ
フレデリック・S・パールズ(1893~1970)。ドイツの精神医学者にして、ローラ夫人と共にゲシュタルト療法の創始者。