心地よい疲れ
疲れている。ある理由によって。ま、それもこれもある意味人助けであるから、気にならない。オレは他人に親切にすることで、あるいは、他人が喜ぶことによって、オレも楽しくなる。それでいいのだ。それで。笑顔に救われるからだ。人間関係は笑顔が一番である。笑顔は相互扶助であるから。
昨日の塾では、ある高校3年生の男子に、大学入試論文の特訓をしていた。通常の授業が終わってからだ。したがってサービス残業である。だって、オレを待っていてくれたのだ。これだと、老骨にムチ打ちながらでもやるしかない。詳しいことは書けないが、こういうのも楽しいもんである。
帰ってきて、風呂から出たら、今日になっていた。真夜中を回っていたのである。
心地よい疲れである。まさか、こんな老後が待っていようとは思ってもみなかった。管理職業務を16年もやらせていただいて、それはそれで楽しかった。いろいろ斬新な企画も立ち上げて、最後に勤務した学校を人気校にした。この不景気に、何億円もかけて新校舎を建てていただいている。その筋道をつけておさらばしたのである。もう、二度と会わない人も出てくるだろう。それでいいのである。それが去る者に課せられた宿命である。だから勉強を一緒にやるといことが楽しいのであろう。これは、亡母もそうだったが、と~ま君一族に流れている遺伝子である。教員が多いからだ。故郷の山形県の話だが。
最近体験したのであるが、世の中には自分を売り込もうとして、ガーガーしゃべりまくる人が実に多い。それはそれで結構である。別に、やりたけりゃやればいいだけだ。でも、ちょっとしゃべりすぎて、墓穴を掘る人も多い。学問的な話をするときは、注意した方がよろしい。根拠が明確でないのにも関わらず、知ったかぶりをしていると、それこそ「穴」がバレル。概論的なことしかやっていないのに、もし本当に知っている方が目の前に出てきたら、黙ることである。オレなんか、すっ飛んで逃げる。わははははははと笑いながらである。背中に「ごめんよ~」とか書いたTシャツを着て。
オレの場合は、雑宗的に宗教を勉強しているから怖いのである。熱烈な信者から見たら、インチキそのものである。許せない存在である。文献からいろいろやっているだけで、実際の修行はしていないからである。これは誰だって許せないだろうと思う。だから、オレは少なくとも信仰問題に関しては、黙るのである。当たり前である。信じていないからである。信仰に関しては専門家である熱烈な信者からは、うとましい存在でしかない。
だから、オレはおとなしく生きているしかないのだ。
なにをやっても素人だからだ。
無口になったのもこれが原因だな。これが。
さ、今日も明日も居住地の図書館で駄文を書く。それが唯一の生きがいである。
許されよ。
もう引退したのだから。
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