石垣島から帰ってきて思った。民俗の道を歩んだ柳田国男が、すくない沖縄への訪問回数でなぜあれだけ豊かな世界を構築できたのかということを。確かに、我が日本民族は海洋の世界を生きてきた。海上の道を舟で往還していたから、島々の間をぬって生きてきたのであろうと。それは、愚生のような山国の奥深く育った人間にはとてもではないのだが、想像できなかったのである。
そういう意味では不安であった。石垣島に行っても、なにもならないのではないかということである。もっとも、あらゆる旅は無意味なのかもしれない。意味をそこに見つけようとして、旅をしていたら疲れるだけである。しかし、ただ食うために行くとか、ひたすら寝るために行くというのもなんだか味気ない。まだまだ娑婆っ気があるのだということである。
要するに書くために行ったのである。全部どこかで底の方がつながっている。こういうのを娑婆っ気があるとか、助平根性とか言うのであろうし、言われても仕方なしである。ただし、愚生の場合は趣味である。これでいいんだろうと思っている。
郷土史の原稿を短くしなくてはならないから、今回のことは塞翁が馬である。短くした原稿と、今回の旅を入れた原稿と二種類のができるわけである。収穫はあったからである。ありがたいことである。なんでもチャンスになるのである。しかも、全部底の方でつながっている。
なんでも文献至上主義でいくと、民俗の道は歩めない。体験や、傾聴、その土地で示されている表象等々を大切にしていかないとならない。どうも愚生は文献至上主義の傾向があっていけない。つまらない理屈をこねながら、ぐちぐち書いていても不可能なものは不可能である。文献に書いていないものも世の中にはたくさんあるからだ。そのあたりが一番の見極めどころであろうと思う。今回の収穫はここあたりにあったと感じている。
と~ま君という匿名の世界で拙ブログをやっているからできるのであろう。もっとも、愚生のことを知っておられる方もいるから、無駄な努力であると嘲笑されるだろうとも思っている。それでもいいのである。
往還の飛行機の中で、ホテルの部屋に聖書と共に、当たり前のように備え付けてある仏教書の文庫版を持参していったので読了した。仏陀の一生が書かれているかなりポピュラーな本である。しかし、なかなかつらいことが書いてある。なぜか。それは無明を生きている人間のことがたくさん書いてあるからである。地位や名誉、金銭を、豊かな暮らし等々の物資的豊かさの追求のみだけの無明の生き方が書いてあったからである。まるっきりオレのことではないかと慨嘆していた。つまらん一生を生きているなぁと反省させられたのだ。自分が核であるし、自分がしっかりせんといかんのである。齢61になっても、まだまだわからんのだ。しょうも無い男ですなぁ。
ありもしない知性を求めて、駄文書きをもっぱらにしているが、だからといって何になるのだという質問への回答にはいまだになっていないからである。
しかたない。このまま無明を生きていくしかないだろうと思うことにしている。