(*_*) マイッタ
久しぶりに風邪を引いたことは、昨日の拙ブログで申しあげた。油断大敵。ここのところ寒かったり、暖かかったりしていたから、油断していたのである。そもそも、愚生は見るからに悪党ヅラをしている。まったく病気なんかとはご縁の無いような悪相なんである。堀辰雄のような、なよなよとした文学青年とはご縁の無いつらだましいであるのだ。笑ってしまうくらいの、比叡山の僧兵も黙ってしまうくらいの武勇伝もたくさんあったからである。それはそれで今じゃぁ大変反省をしている。本当に申し訳無い10代後半から、20代前半を過ごして参ったのである。とりわけ、愚生の武勇伝の相手にはこころから申し訳ないと謝罪をするしかない。それほど、アタシャ問題児であったからで・・・・・(*_*) マイッタ
こんな愚生でも、しかし、憧れの方々はおられたのだ。たいていは、すこぶるアタマのいい方々である。同級生で、愚生の母校で一番できたi君には人格的にも影響された。学問もできた。仙台の帝国大学の工学部に現役で進学して、その後、日本を代表する大手電機会社で研究員をしていた。
愚生の入っていた応援団の団長のS君は、i君にかなわなかったけど、やはり仙台の帝国大学医学部に現役で進学していった。そもそも両君とも、勉強している気振も見せない憎たらしいやつらだった。仙台の帝国大学に愚生の年で、27名進学していったっけ。思えば凄い高校だったよん。今ならとても入学できまへんなぁ。よく入れたよ。
(^-^)/
そもそも、偏差値秀才というのは、偏差値の中でだけ秀才であって、分母の価値がたいしたことがなければ、秀才の価値は下がる。自明のことである。偏差値の求め方を知っている方ならば、誰でもわかるようなことであるが。
そうではないのだ。愚生の高校時代に周囲にいた秀才というのは、そんなもんではないのである。本当に秀才は、秀才であったのである。(あたりまえだな)
何を書いているのかと笑われそうだが、そうなんである。本当にできる奴はできるのである。反対に愚生のように、努力無しにはなにもできないという鈍才中の鈍才には、逆にクスリになる。また、そういう自称秀才の力量の限界もよく見えるのだ。
自殺したのもいた。どんなに秀才でも、死んだらおしめぇだ。さらに、たいしたこともなく定年退職を(退職予備軍も)していった自称秀才もたくさんいた。高校の同級生にである。世間から見たら、凄い大秀才である。いわゆる超一流大学のご出身である。それが、還暦を過ぎても・・・もう言わないけど。
世間に出たら、何がどうなって、どうなるのやらまったく分からないのである。このことだけは、自覚されたほうがよろしい。むしろ、若い頃は学業劣等でも後になって大成功をする方もいるから、世間は面白いのである。数としては少ないケドね。愚生は、中途半端な人生を送ってしまったなぁ。可も無く、不可もなくだ。ああ、バカバカしい。
マンゾクしていてはならないのである。自称エリートになったからと慢心していると、どこでどう逆転劇が待ってイルかも知れないではないか。それだけは気をつけなはれや。そこらへんの秀才さん!
愚生は、アリでいたいものである。いつもせっせと努力する奴には必ず成功がある。(^_^)3 フムフム。(と、自分を騙して生きてきたのかな・・)
昨日、十分ネタので、けふは快調である。そして、非常勤講師として勤務させていただいているある大学に8時30分までに出勤させていただく。愚生のようなものでも、必要としていただいているからである。ありがたいものである。学生さんからもいろいろ質問がくるし、こっちも質問しながら対話の教育をしている。あるいはケースメソッドを用いて、事例研究をしている。そもそも教育の方法と手段について、教員希望の大学生たちに今までの愚生の経験と知識を贈与させていただいているのである。これは、他の大学経営者が聞いたら、ゼッタイ欲しがる情報でしょうなぁ。O(^-^)
勤務している大学以外には公開しないけど。それはそれで、常識だから。
昨日の夜の塾では楽しかった。数学と英語であった。もう何度も書いているから、高校受験くらいなら愚生でもできるのである。それだけの高校に行かせていただいたからできるのである。間違いない。経験が役に立っている。なんと言っても関関同立に進学して行った愚生の親友でも、成績不良で高校を一年留年したくらいの厳しい高校であったから。あいつはその後反省して、大学に進学してから猛勉強をして、山形県の高校社会科の先生になっちまったから、努力ぶりにはアタマが下がるケド。だから偏差値なんてアテにならないのである。要するに本人の努力一つである。世間の評判のいい学校なんてアテにならんのである。
希望を失っちゃならんのだ。
頑張ろうじゃないか。慢心せず。オレは、オノレは秀才である、評価してくれないのは、世間が悪いという悪い冗談だけは、金輪際言わないこった。そう思うのである。
さ、けふはセンセに逆戻りである。
やってきますぜ。
(^_-)-☆