今をときめく東進ハイスクールの林修せんせが、ちびまる子ちゃんが東大進学生をつくるポイントであるとのたまわれていた。そこで、オレは早速今日例の古書店チェーンで買って読もうと思ったのだ。しかし、その前に、もしかしたらyoutubeで見られるのかもしれないと思った。そしたら、あった。欣喜雀躍。
見始めた。
ふううううううん、そうなのぉ?ってな具合でいろいろ見ていた。ひねた少女だと思った。これじゃぁあまりかわいくないとも思った。そこで、はっとなった。そうか、そういうことなのかと。
まる子ちゃん(さくらももこ)自身は、面倒臭がりな反面、非常に好奇心旺盛でもある。勉強以外の、自分が興味のあることなら労力を惜しまず没頭する。また、面白そうなことがあると興味本位で首 を突っ込み、結果的に巻き込まれてしまうことが多い。お節介ではあるが、相手の気持ちになって一生懸命になる世話焼きでお人よしな性格。年寄りくさい思考 や言い回しをよくしていて、周囲を驚かせることがある。
ここなんんだろうなぁ。ここ。
それに家族構成も実にいい。
つまり、友蔵じーさんだけが善人で、なにをやっても許してくださるとっても素敵なおじーたまで、そのほかは、実にシリアスなんである。これは逆の意味で教育的だろう。オレは、「よい教育とは何か?」ということを浅学非才ながらもずっと考えてきている。今もだ。村井実先生の全集も読んで、(ちなみに城西国際大図書館にある)徹底的にやっている。あまりそういうことは、拙ブログに書かないが、論文とか研究紀要には出させていただいている。
そういうまじめな部分はあまり他者に見せないようにしているから。理由は?
そりゃ簡単でっせ。バカがばっれっちまうから。(>_<)ゞ
ほんまに、化けの皮がはがれたら、オレなんかあれぇーーーーーとばかりに北風に運ばれていってしまう。マジに。行く先のわからない旅へだ。
閑話休題。まる子ちゃんだ。先にあまりかわいくないと書いたが、かわいくないというより、オレはこういう諧謔に満ちた人間が好きなんだということである。
かわいさだけで生きている人間は、あまり評価しない。かわいさよりも、賢さである。かわいくて、賢ければもっといい。そういう女性もたくさんおられる。NHKのテレビでも、毎朝実に多くの美女アナが出てくるが、アタシャ顔よりもコメント力を見させていただいている。ただ、平板にアナウンスしているだけではおもしろくもなんともない。その点、NHKの男性アナは、皆、平均的でおもしろみに欠ける。サラリーマンアナでは楽しみがない。せっかく高い受信料を払っているのだ。もっと楽しませてちょんまげと思うのだが。
その点、まる子ちゃんは平均的なキャラでは無い。憎たらしいほど、賢いのだ。いいなぁと思う。こんな子がオレの孫だったら、オレはぎゅーーーと抱きしめたくなる。あ、おじーたんそれってセクハラじゃ!とか言うだろうな、まる子ちゃんは。もっともあれか。あたしのこと、チャンづけで呼ぶとセクハラじじいって言うわよん!とでも言いそうだな。わははははは。
じょせーは美人ほど、自分に甘い。なぜか。それはちやほやされてきているからだ。ほら、そこのあーた、身に覚えがあるっしょ?誰でもそうだ。男は、甘いことを言って近寄るのが目的だからだ。だから褒めることしかしない。あーたは、きれいだ、かわいいだ、つきあいたいだのと。
騙されてはいけねぇ。いけねぇ。男なんて、オレも含めてあふぉ~の固まりである。自分の遺伝子を残したくて、うずうずしているのだから。だから男はバカなんである。オレも含めて。あははははなんだよん。それが宿命であるから、許されよ。
だからまる子ちゃんを見ていると、バカなことばかりしている自分に冷や水をぶっかけてくださるような、まるで不動明王のような怒りすら感じるのだよ。
そうやってガキの頃から、もう一つの覚めた目で、なんにでも好奇心旺盛でものを見たり考えたりしていると東大に入れるということなのかなぁと思った次第である。林修先生の言わんとするところとは、オオイニ違っているのだろうけれども。
(^_-)-☆