ホンモノじゃぁない
法華経と天台宗の安然を比較しながら、駄文書きをしていて思った。これって、天台宗の信仰を本格的に持っておられる方から見たらいかがなものかということをである。宗教関係はなんでもそうだ。キリスト教もそう。道元の禅もそう。もっともオレは禅については、一家言あったのだが、もう捨てた。比較してどうだらこうだらと云っている以上、一丁前の顔して発言できるわけもない。
それは個としての信仰の立場に立っていないからである。
ソクラテスについて書いた「饗宴」にも出てくるが、パイドロスやアリストファネスにしてもアガトンにしても、前の人の発言に対していかにそれを乗り越えるかという発想から議論をしていくと、いかな天才でも種本の存在はあったはずである。つまり、アンチョコである。美辞麗句を使いこなし、世界のあらゆる哲学や宗教思想、さらには文学、神話、伝承の類いまでペラペラしゃべっていると、必ず化けの皮がはがれるのだ。
そんなすべてのことを知っている人間なんていないと、オレは思っているのだ。知ったかぶりをしているだけで、内容はなにもないと思ったほうがいい。
「饗宴」のことを議論した場合だって、愛がどうだら、エロスがどうだらと出てくるのだろう。概念規定について云っているならまだかわいい。しかしである。自己矛盾に気がつかないで、議論を進めてはならないと思う。
ソクラテスが、「饗宴」の最後に云ったことは、笑ってしまうくらいのイヤミである。わはははははである。これぞ真実である。だから殺されたのだろうが。
(オレもあぶねぇなぁ・・・とほほ)
アンチョコを元に、知ったかぶりをする人間は多い。高校の同級生にもいた。何回か書いてきたが、文芸部にいた。なんでも読んでいると豪語していた。そんなあふぉ~な。16,7のガキが、できるわけもない。
愚昧なオレが、ドストエフスキーは・・・とぼそぼそとしゃべり始めるとすぐさま、あ、あれはね、**の影響を受けているのが、あれで、これでと蕩々としゃべり始めるのだ。早口だからつけ込む隙がない。
オレは得意技が「聞き上手」である。間違いなくオレは、しゃべるのは苦手だが、聞き上手である。東北人だから、話す言葉が明瞭で無いし、くぐもる。アクセントも違う。だからと言っていじけているわけではない。なにも関東弁が最優秀だとはこれっぽっちも思っていないから(^0^)。
そんな高校文芸部の自称天才の化けの皮がはがれたのは、うっかり彼が文芸部室にワスレテいった一冊の本からである。
書名を「アウトサイダー」という。コリン・ウイルソン著だ。
へ?
なんだ、こんなの読んでいたのかとがっかりした。アンチョコだったのである。まったく、まったく。
彼は、その後政治家になったという風の噂を聞いた。
へへへ?
と思った。
まるで「饗宴」に出てくる政治家のアルキビアデスではないか。
知らないなら、知らない。あるいは読んだことが無いのなら、無いって正直に言えば良いのだよん。はったりだけで生きていると、最後はアルキビアデスみたいになっちまうってか?わははははははである。
ある人が、唯識論で苦労しているオレに、そんなの翻訳で読めばいいじゃんっていったことがある。去年、オレは唯識で有名な興福寺に直接うかがって、聞いたことであるが、8年かかっても理解できないと学僧が云っているという。凄い世界である。
オレはとてもじゃないが、ついていけない世界だ。
所詮、オレなんか、ホンモノでは無いのだ。素人芸のダジャレが好きな馬鹿じじい。無知蒙昧な無駄金使いの達人だ。ああああああ、なんとか生涯学習でもって、ほんのちょっぴりでいいから世間のお役に立ちたいもんですな。マジに。柔道ではちょこちょこやっているけど。あとは、郷土史程度か。
もっとも、オレの得意技は「無知蒙昧」というのもあるからなぁ。無知だから、自分には無い「知」を求めるんです。まったくそのとおり。だからオレのようなモンでも、生きる価値はあるのですよ(^-^)/。
厳しい世界だよ。
(^_-)-☆