「見知らぬ在所へ嫁に行く」なる短文を読んで感心した。
宮本常一先生の著作集30巻「民俗のふるさと」のp.135である。
結婚のしかたであった。
愛知県の山中である。場所も特定されているのだが、それは宮本先生の同書を参考にされたい。
80をこした老婆から聞いた話である。
一度嫁に行ったが、相手の男と気も肌も合わないのでわかれて家で働いていたのだそうである。
そしたらその村によく来る小商人が、嫁の世話をするのである。
「あんた、出戻りなら嫁の苦労は知っておろう。一つ嫁に行ってみないか。相手の男はしっかりしてなかなかの働き者だが、その父親が長患いで寝ている。口やかましくて困った者だが、その爺さんはそのうち死ぬだろうから」
というわけである。その言い方がおもしろいのでつい行く気になった。
遠い土地に行ったので、よそ行きの着物を着て、小さい行李を持って行った。
そして、小商人について行って、一緒に台所にいて、新しい亭主の帰りを待っておった。
そしたら、奥で寝ていた新亭主のオヤジ殿が、
「お前お客にきんだじゃなかろう。嫁にきたんじゃろう。嫁なら嫁らしゅう仕事をせぇ。わしは小便したいんじゃ」といきなりきた。
それこそとびあがるほどびっっくりして、シビンを持っていって小便をさせて、台所の片づけをはじめた。つれてきてくれた小商人も肝をつぶして帰っていってしまった。
そのうち亭主が帰ってきた。
「嫁に来たのはおまえか。腹が減ったからめしを食わしてくれ」と、まるで10年もその家にいる者にいうような言葉であった。それで、「ああ、私はこの家の嫁さんなんじゃな」と思ったそうである。
夜になったから亭主が、床を敷いてくれという。蒲団がわからない。聞くと、「お前の気の向くようにしたらええ。女房じゃないか」といった。その晩亭主に抱かれて寝た。10年も夫婦をやっているようであった。
この家にはほんとに私が必要なんだなと思ってそれから身を粉にして働いた。
すぐ死ぬといわれた爺も10数年それから生きた。
その病人が死ぬとき「われにゃえらいお世話になった」といってくれたので、苦労がいっぺんに消し飛んでしまった。
苦労の多い一生であったが、親元が遠いので苦しいからと言って愚痴をこぼしにいく間もなかった。さいわい子どももよくしてくれるので今は極楽です。
以上のように老婆は話してくれたのだそうである。
いい話である。
実によかった。