と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「もういい加減にしてくださいよ」

2013年09月12日 08時44分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

勉強不足だよん、オレだものなぁ

 

 

 次のリカレント教育としてどこを選択すべきか?

 このことを配偶者に相談したら一蹴された。「もういい加減にしてくださいよ」というわけである。いくらカネを使ったら気が済むのかということである。それはそれで分かる。だって、今の大学を出ても、定年退職しているから就職はできないし、学位だってとれない可能性は十分ある。能力がないからだ。それに他者が評価するものだからだ。提出そのものを。

 生涯学習というのは、そういう意味では、つまりメリットがあるかないかということでは、シビアである。儲からないからだ。もっとも儲けるために生涯学習をやっているのではない。

 このことは、大学教育の歴史的推移を見ていても理解できる。昨今は、利益のあがる学問がモテているからである。メリットなんて生涯学習に関してはなんにもないのだ。銀行とかの金融関係の特に管理職から見たら、大学教授の年収はボクらよりは低いし、いろいろ大変なことも大学の先生にはおありだし、ボクはなりたくないと云われた方がいた。その友人は、非常な勉強家でしかもまだオレよりは若い。オレのようなじじいとは違う。だからそっと聞いてみたのである。大学の先生になればぁって。そしたらそういう答えだったのである。そのとおりであろう。

 オレの場合は、論文のかたちで何か記念のものになれればいいと思っているだけだ。

 もういい加減にしてくれと云われたら、オレは自分の小遣いの範囲内で学べる学校に行きたい。実は、8月に西本願寺の中央仏教学院の通信教育課程に入学しようとした。ここは、一度入学して基礎課程なら卒業している。さらに上級の課程に入学しようとした。資金不足で断念したのだが、来年なら、つまり在籍校の最終学年なら進学できそうな気がするのだ。学費がオレの小遣いでも払えると思ったからである。来年になれば、である。来年。わはははははは。だったら、なんで今年入学しなかったのかと云われそうだ。

 それには言い訳がある。浄土真宗だからだ。まだ、本当の意味で信仰を語ることができないからだ。さらに、オレは高野山にも興味がある。雑宗なのだ。オレは。もっとある。実は、キリスト教にもかなり興味がある。学部の卒論は、「椎名麟三」であるから、わかる人はわかるだろうが、共産主義からの転向を扱ったものだ。それとドストエフスキーと、椎名麟三の信仰したキリスト教を比較したものである。もう40年前の話である。だからオレは本来近代文学が好きなのだが、人生経験を経るにしたがい、日本古典にのめり込んできた。それも教員時代全体を通してだから、こっちも40年になる。

 つまり、全部中途半端なのだ。

 慚愧の思いでいる。

 これに対して執着して、あらゆる論文を読破して、自分の専門に拘り、研究者とか学者センセを目指して、脇目も振らず努力すれば良かったのだろう。しかし、オレにはできなかった。

 目の前にいるかわいい生徒達との心の交流が大切だった。そういう意味でオレは専門が「Education」なのであったのだ。後悔はない。これでよかったと思っているし、素敵な教え子たちと出会うことができた。中学校の教え子たちには、親戚以上のご縁を受けた。教え子同士の結婚には仲人までさせていただいた。後に高校の教員採用試験を受け直して、高校の教師になってからも、オレの中途半端な実力の柔道で、いろいろな教え子たちとご縁をいただいた。楽しかった。女子柔道で関東大会まで出場できたし、楽しい教師人生を送らせていただいたと感じているのだ。

 こんなオレだ。

 話にならないのだ。

 研究者への道はハナから考えていないのだ。なれるはずもない。その理由は、完全に勉強不足にあるからである。無知そのものを地でいっているからである。仏典研究をしていても、経文が難しくてまったく歯がたたないのだ。学力不足である。完全に。正法眼蔵を読んでもかなり難しいし。唯識に至っては、興福寺で絶望をしてきた。去年。一緒に話を聞いていた配偶者も、「あんたじゃ、ダメだってことだよーん」と感想をもらしたくらいである。わははははははである。笑うしか無いではないか。

 先日も、ある大学で、知人の講師先生から云われた。「10代後半の大切な受験勉強時期にサボっているから、じじいになっても勉強していなくちゃならんのだよ!」って。大笑いした。マジで云われたし、まったくそのとおりであるからである。

 知人は、優秀な国立大学を出ていて、オレと同じ国語教師であった。オレなんかと違って、勉強していて、すいすいと出世していって、退職後も大学の常勤の日本語講師で頑張っている。彼のような人生もまた素敵な人生である。

 どういうことになるのだろうかと思う。

 だったら、今のままで、巨木の精霊、桜の精霊などにふらふらと誘われて、草の枕を旅の友として、非日常を生きていくしかないのだろう。そろそろ行ったこともない、海外旅行にも行ってみたいし。

 

 こんなじじいにだけはならないようにという悪い見本である。

 分かりましたか?

 これからの方々。

 

 

 (^_-)-☆

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