と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

終バスでした

2012年05月27日 00時16分01秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ちょっと夕方になって暗くてピントが・・・

「未来から贈られたチャンスを受け止めて生きる」・・・いいなぁ。レヴィー・ストロースですよ。

 

 昭和45年の頃では女子大でありましたから、愚生は絶対にこの風景は見ることができなかったです

非常に意味深であります。カウンセリング的に。

 あたしゃ、この像にいまだにしびれます。信者では無いんですケド。


 

・もう昨日になる。さっき帰ってきた。三鷹にいた。修士を取得させていただいた母校の武蔵野大学にいた。カウンセラーのT女史の御講義を聞きに行っていたのである。良かった。実に良かった。

・カウンセリングもまったくの素人である。オレはこれが玄人だなんて言える分野はナニもないのだ。論理療法をちょっとかじった程度でまったく素人。T女史は慶應大学の大学院を出られた優秀な先生である。そして、講義の内容はロジャース。まったく知らないことがたくさんあって、またまた勉強になった。

・T女史も生涯学習の権化のような方で掛け値無しに尊敬している。大学院修了式の時に、T女史のお誘いがなければ、母校の訪問も無かった。そしてケネス・田中教授の主宰されている学会にもご縁がなかったと思う。

・ありがたいものである。すべてはご縁である。実は、ひさしぶりに母校に行かせていただいたので、恩師のK教授にもお会いしたかったのである。しかし、事前にメールでご挨拶をしていなかったし、土曜日だからご迷惑であろうなぁと思って逡巡した。無学・懶惰な最劣等生の愚生である。堂々と恩師の研究室のドアをノックできないのである。それくらいの恥は知っているつもりである。(K先生、この記事を見ていたらごめんなさい)

・逡巡というと、愚生は現在の在籍校である城西国際大学大学院のクラスメイトにも遠慮がちである。いかん。こんなこというたら、失礼だろうなぁと思うこともしばしばである。博士号を取得することを国家的使命として目標にしておられる方々である。しかも、クラスメイトの中国の大学の先生方は、インターネットにも相当数お名前がヒットする。凄いことである。つまらない動機で勉強している愚生なんかなんにもヒットしないではないか。当たり前である。誰も知らないし。

・クラスメイトたちには、日本文学は言うにおよばず、中国語でもとてもたちうちできないし、さらに日本国内のイベントにも多数登場されているのだ。まったくレヴェルが違うのである。実にすばらしい方々である。クラスメイトと呼んでは失礼になる。愚生ごときがである。わらわれっちまうです。

・あたしゃ要するに威張り性ではないのだろう。この間、千葉科学大学の学生に講義しているときに、教師とか先生と言われる人間は、ナーシズムを満足させやすい職業柄、威張り性が多くなると言った。それは実感している。愚生ばかりではない。これは戒めなくてはならないことであろう。

・愚生としばしば私は書く。何故か。それはどこまでいっても私は愚かな人間でしか無いということを、忘れないためである。周囲の人すべてお師匠様であるからである。何にでも、誰にでも学ばさせていただいているからである。それほど、なんのちからもないからである。

・ちからなんかあるわけもない。

・愚かな衆生である。ただひたすら、迷いの世界を生きているだけの人間である。時々言う。「美人が美人に見えるうちはダメだ」と。これって、冗談だろうと言ってくる方がおられるが、本当にそう思っているのである。どうしても、愚生は美人を美しいと思ってしまうのである。骸骨に肉がついておるとは、どうしても思えないのである。

・しかし、ここに限界があるのだ。論理的矛盾を招来してしまう。愚生の愚たる由縁である。醜悪なる部分を見ないということは、言い訳に直結するからである。これはなんでもそうである。呑んだらいけないと言われ、呑んだら酔っ払ってしまうお酒もそうだ。どうしても縁を切ることができないのだ。情け無い。これまで、どれだけ多くの方々にご迷惑をおかけしたのだろうかと思うと、もうカオから火が出る思いである。

・昨日も、勉強会が終わってから、武蔵野大学の前にあるレストランで食事会をした。そこで、ケネス・田中先生の隣に座らせていただく光栄に浴したのである。そして、いつもながらの生ビールを呑んでしまったのである。

・いかん。

・食事しながらの会話がためになるだけに、なぜ真摯に聴いておることができんのだろうと思う。要するにその程度の人間なのであろう。

・来月は唯識学の大家である横山紘一先生が講師をしてくださるのだそうな。これは必ず参加させていただく。楽しみである。

 

・延々とお江戸から、高速バスに乗って帰ってきた。そして、風呂に入る前に、来ていた手紙にびっくりした。なんと別の学会から宿題が来ていたのである。原稿を書かなくてはならん。合格するかどうかはわからない。しかし、楽しいものである。またずっと図書館にこもるつもりである。やることがあるうちがハナですよ。


・それではお休みなさいませ。

 

 

 

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