と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

 「サヨナラ、あばよ、また会おうな、生きていろよ、元気でな、死ぬんじゃねぇぞ」

2013年09月15日 07時52分38秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あばよ!

 

 

 「サ ヨナラ」って、一番好きな言葉だなぁ。

 だって、逢っている瞬間、その時だけが共有させていただいている「ご縁」であるから。それしか、関係性はモテナイの だから。

 時間が来て、別れたら、お互いの世界が待っているっしょ?家庭とか、自分だけの世界とか、彼氏・彼女との空間とか。いろいろありますからねぇ。 人、それぞれに。そして、そういう世界に再び戻って行かなくちゃならんのが、オレのような庶民の宿命でござるよ。

 そういう個人の世界や私的な世界に戻るためにも、他者とはいったん縁を切って、「サヨナラ」と云わなくちゃならんでしょ?あたりまえですがな。他者の世界だけにどっぷり浸かって、そっちの世界で生きていくってぇなことはできやしない。また、やっちゃいけない。家族制度が崩壊するから。

 それをいつまで も時間無制限で、チャットだの、メールだの、スマホで電話だのってやっているから、ノイローゼになるんですよん。フェイスブックの友達の数を競って、自慢して、返信で 忙しいっていうのは、それが好きな人にはたまらんだろうけど、オレにとっては不要な世界でおますなぁ。仮想の世界ですからねぇ。そんなの。

 
 もっともあれか。オレにはお友達が少ないから、どーでもいいことだけど。だったら、書き込むな!ってことですかなぁ。わははははははは。

 ま、それはともかく、一瞬の関係性ということを考えると、いつもオレは緊張をするし、会っていただいている方々に感謝しなくちゃいかんと思っている。中には、こんなじじいと会って時間の無駄だと思っている方もあるだろうし。

 だから感謝しているのである。一瞬でもこういうつながりを持っていただいたということをである。

 

 

 話は変わるが(いつもこのパターンだ)山間僻地から、ふらふらと出て行って、里の村々で鞠つきで遊んで生涯を過ごしていきたいと何度思ったことであろうか。良寛の如く。村の小さな小学校の分校で、わらしべ達と学び、話し合い、遊ぶ。そういう境涯は、憧憬そのものであった。

 しかし、それを10代後半でしっかりと覚悟するには、オレはあまりにも若かった。まるっきり隠遁者ではないか。そういう生活は。貧に耐え、名誉を求めず、むろん都会の華やかなネオンも知らず、ミニスカートのオナゴなんか見たこともねぇって生活は、オレには耐えられなかったなぁ。


 今?

 今は、拙ブログの自己紹介にも書いてあるけど、「九十九里浜で隠遁者」をしておりまするがね。今なら、なんでも耐えられるですな。眼中に無いってことですけどね。ネオンも関心無いし、地位も名誉もなんにも無い。毛も無い、カネも無し。その代わり、不安も無い。誰にも期待されていないし、まったくナイナイづくしであるから。

 しかしだ。齢、還暦となって、そんなもんから自由自在になって、しかも誰にも相手にされない境遇になると、禁欲主義なんてどっかに吹っ飛んでしまったねぇ。自由自在になっちまったよん。

 いいんだ。いいんだ。

 綺麗なものは、綺麗で。美人を見たら、ああ、綺麗な人だなぁと感じていればいいだけである。口説くなんていうことをしなけりゃいいんだよん。セクハラになっちまう。行動実践もいい加減にするこったよん。見てるだけで仕合わせですよ。わははははは。

 「美」というのは、自分に無いから「美」なんである。だから求めるのである。なにも、無理をして封じ込める必要は無いのだ。無理していると碌なことはない。鑑賞だけで十分である。

 ソクラテスの言ったことは、そういうことだったとオレは思っているし。

 だから美女を見ても、骸骨に肉がくっついているという皮肉な見方ができるのである。オレには無いくっつき方をしているから、「美」なんである。それでいいではないか。それで。誰しも、誰でも、いつかは死んじゃうのだし。それは明日かもしれないし、明後日かもしれない。まさか昨日死んじゃったというわけにはいかないだろうが。

 よって、別れの言葉は重要だと思うのだ。

 常に死を前提にして生きていると、ただいまのこの瞬間が実に愛おしくなるのだ。美人も明日には会えないかもしれないと思うと、やはり時間は大切にしないといかんと感じるのである。

 

 最後にしよう。
 サヨナラ、あばよ、また会おうな、生きていろよ、元気でな、死ぬんじゃねぇぞ・・・といろいろな別れの言葉を云ってきた。それぞれの思いを込めて。

 思いだした。かつて、ふるさとを集団就職列車みたいにオレは出てきたのだった。亡父と亡母に反対された進学だったから。苦学のこれが始まりだったしなぁ。たった一人の旧友が、見送ってくれたっけ。泪を流しながら。同級生だった。だから、男の友情はいいのだ。

 あいつも云ってくれたっけ。

 「サヨナラ、あばよ、また会おうな、生きていろよ、元気でな、死ぬんじゃねぇぞ」

 この台詞は、天下の名文だったとオレは今でも感謝しているのだ。マジに。ここまで生きてこられたのも、この別れの言葉があったからである。

 

 合掌。
 チーン、チーン。

 

 

 

(^_-)-☆

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若返りのクスリは、知的興奮... | トップ | 去年の記事 徒然なるままですが »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

大学院博士ごっこ2012年から2015年」カテゴリの最新記事