これから指の運動をして、つまりこのブログに書き込みをしてから、原稿の訂正作業に入ります。ま、それもよし、あれもよし。広い意味での知的作業になるんでしょうから。それにしても、学生のいないキャンパスっていいもんです。静寂で、ゆったりと考えるのには最適です。あ、これは経営陣から叱られてしまいますねぇ。そんなことを言っていると。
院生室には、昨日の博士後期の先輩しかいない。じっくり考えるのにはいい。さらに、この作業が終わったら図書館に行って、昨日読了した書籍を返してさらに2冊借ります。民俗学みたいなものにも手をつけているから、何冊借りても間に合わないんです。容易ならざることをはじめてしまったものです。
知人と先日話をしていて、気がついたことがあります。それは、知人たちの職業によって、愚生のやっていることへの興味・関心がまったくちがっているということでした。かつて愚生がやっていた職業と同じことをやっておられる方は、どうしたら大学で教えることができるようになるのだということを聞いてきます。興味関心の対象が違っています。そんなことは簡単です。「天命」です。ははははは。
それじゃ身も蓋もないですが。せめて大学院くらい出ていないと・・・とは思いますが、重要なことは大学の先生も定年があって、65歳だということに気がついていない。退職後にやれるような仕事ではないわけです。
次に、塾の講師。これも今度は民間の方々が興味・関心を持つのです。収入にです。ささやかなパート社員だからと何度言っても、信用していただけない。週に3時間しか働いていないのも信用していただけない。「あれか、住宅ローンで生活に困っているんだろ?」とも聞かれる。そりゃ年金生活者ですから生活は、清楚なものであります。ただし、ローンはまったく無いのであります。ですから、子供たちとのふれあいのために、それだけが楽しみでやっているんです。ホンマに。
最後に、学生をやっていること。この話題になると混乱してくるようです。なにがなんだかわからんと。在籍校でも教えているんだろう?と聞かれます。とんでもない。愚生ごとき、大学はもちろんのこと、誰にも相手にされていませんよん、ただの学生ですよん、というとまたまた理解できないとおっしゃる。それでも食い下がってきます。学生やりながら研究生とかやっているんだろ?って。とんでもシンドバットです。(ずいぶん古い洒落だなぁ・・ひょっこりひょうたん島のダジャレだ) 愚生は学部も、修士も在籍校を出ていないし、だいいち学会での実績もまったくない。ないないづくしです。評価できないっちゅうわけです。これも「天命」ですなぁ。お前ごとき人間は、ひたすら誰にも迷惑をかけないで、勉強でもしておれ!っていうことでしょう。まったくそのとおり。ありがたくてありがたくて、涙が出ますよん、マジに。これだけ、自分の好き勝手に勉強させていただいて、在籍校に感謝しているんです。
学会の発表だって、本当に好き勝手にさせていただいておりますし。自分でめっけてきたんですから、応募したらやってみぃってなっただけですから。そしたら、発表当日は、おそれおののいたっけ。愚生は筑波大学の博士後期と、大阪大学の博士後期の発表者とに挟まれていたんですから。日本を代表するスーパーエリートの方と、田舎じじぃの対象美?ってやつかな。笑うしかなかったなぁ。
郷土史の方でもそうです。来週の土曜日に研究紀要の編集会議がありますが、そのメンバーにも入れていただいたし。これも自分で手を挙げてみたら、そうなっちゃったんです。相撲でいえば、全部自分で考え、自分で稽古して、責任は自分で負うことといわれているようなものです。失敗したら引退しかない横綱みたいなもんです。ただし、愚生には在籍校に師匠がおられる。こんなバカな不肖の弟子を、あたたかく見てくださっている。感謝しています。好き勝手な弟子に、指導してくださる。ありがたいものです。実にありがたいものです。
それじゃぁ・・・また!