いやぁ世間はきびしいっすねぇ
私は、オレは、僕は、ワシは、どうしたらいいんだと聞く人がたまにある。
そういう人は、たいていはもう結論を持っていて、ただ単に確認をとるために言っていると解釈した方がよろしい。なんて言っていると、身も蓋もないから、オレは無い知恵をフル回転させて、その人の身になって考える。ここらあたりがオレの甘い点なんだろうなぁ。利用されているって分かっていても、利用されてあげっちまうのである。もうどうでもいいと思っているので、カネ以外なら期待にこたえてあげたいって思っちまうのであーる。だから、バカなんだなぁと思うです。
これから世間の波にもまれて生きていかなくちゃならん人でも、同情心が先に立つので、かわいそうで見ちゃおれんという心境になるのだ。研究者とか、学者で世の中に立っていかなくちゃならん人について、特にそう思う。大変な世界を生きて行かなくちゃならんのだろうなぁと思うと、かわいそうになってしまうのだ。
ま、オレが特別世間から脱落しているから、マジにそう感じるのだろうけれども。
今日は、論文をいくつか拝見させていただいていた。学校で。(生徒・学生を演じさせていただいている方の大学で)それで上記のような感想を持ったのである。論理的思考というのは、隙を見せたらおしめぇだ。つまり、組み立てにおいて、ある意図を持った攻撃を常時意識していないと書けないのだろうと思ったからである。大変な作業を経て、いろいろな論文が出来上がってくるのだ。
書き手が、超一流大学を出ておられても学会誌に落選するときは落選するようであるし、厳然たる事実だとオレは思っている。それが鍛えというものなのだろう。凄い世界である。一介の田舎教師の時には、まったく知らなかったのだ。こんな風に研究者とか学者先生というのが、切磋琢磨しているとは。
狭い学校社会でしか通用しない人間だったのだなぁ、オレなんか。おっと、通用していたのかどうかも怪しいもんだけどね。住む世間が違うとまったく厳しいのだということが、だんだんと分かってきたよ。論文を応募して落選したある学会誌が今日自宅に夕方送られてきて、驚いたのだ。一緒に発表した、おーさかの旧制帝大、つくばの旧制高等師範学校とかのエリート達も落選していたのを今日知ったのである。だからである。
厳しい学会誌であるとは聞いていたが、ここまで厳しいとはねぇ。凄い世界である。完全に実力の世界なのだ。
そして思った。オラァ、学部だけで十分すぎる人間だったのだなぁと。そもそも、学部すらやっとこすっとこ出られただけのボンクラだからなぁ。先生、先生って言われてどっかで思い違いをしてしまったんだよん。世間ズレしていたんだよん。たいした実力もねぇのにねぇ。
謙虚にすべてを受け止めて、いろいろな人のお話を聞いて、勉強するこっちゃ。
「オレはどうしたらええ?」っては聞かねぇけどね。
オレにはもう結論が分かっているから。
わははははははははだよ~ん。
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