[100のインプット]
「自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。」
↑治部れんげ@rengejibu様のTwitterで教えていただいた。
こりゃぁ本当である。すばらしい教えである。
こんなあふぉ~なオレでも言われることがある。ブログのことである。「毎日、毎日よくもまぁ・・・」「あんな馬鹿なことばかり書けるなぁ」って。・・・ムム。「馬鹿なことばかり」は余計だが(^0^)
しかし、認めざるを得ない。馬鹿は、所詮馬鹿であるからねぇ。所詮こんな程度の人間ですから。ハハハでござんす。ま、他人に迷惑をおかけしなかったことと、違法行為だけはして来なかったから、唯一これだけが自慢ですが。それにあれか。定年まで勤めあげたことくらいだなぁ。
そんなことではない。言いたいことは。治部れんげ様から、「インプットの重要性」を教えていただいたということである。1の文章を書くのに、100のインプットが大事であるということを教えていただいたのだ。
そりゃそうだ。なんでも体験から書いていたんじゃ、枯渇する。まさに、「100を1にする作業」なのである。100に値する努力をしていないと、当たり前のようだが、書けないのである。
オレだって、論文めいたものを毎日書いているが、いつでもcomputerのキーボードをたたいておるわけではない。読書をしておる時間の方が、数倍上回るのだ。愚昧なるオレですらそうなのだ。世の中の俊秀は、さらにオレの数倍上回っておるのだろうと思うけど。研究者とか、学者先生もむろん言うまでもない。
オレがまったくもって話にならない高校時代を送ってきて、それから大学の学部、専門学校、大学院の選科生、大学院の修士と働きながら苦学して生涯学習をしてきた。そのことを知人達は、よく知っている。だから、からかってくるのだ。「へっ?おめぇごときが高校の校長やれたのか?」って。わはははははである。自他共に認めておりまするから。エリートコースとはほど遠い人生ばかりだったのだ。
だから、インプットが大切なのである。本当にそう思う。
なんにも努力もせんで、なにかになった方はいないのである。そのことを忘れるではないぞよと、教えていただいたような気がする。
さ、明日からまた努力しなくちゃならん。
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