と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

あるTwitterの教え

2013年05月06日 14時30分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

[100のインプット]

 

 「自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。」

↑治部れんげ@rengejibu様のTwitterで教えていただいた。

 

 

 こりゃぁ本当である。すばらしい教えである。

 こんなあふぉ~なオレでも言われることがある。ブログのことである。「毎日、毎日よくもまぁ・・・」「あんな馬鹿なことばかり書けるなぁ」って。・・・ムム。「馬鹿なことばかり」は余計だが(^0^)

 しかし、認めざるを得ない。馬鹿は、所詮馬鹿であるからねぇ。所詮こんな程度の人間ですから。ハハハでござんす。ま、他人に迷惑をおかけしなかったことと、違法行為だけはして来なかったから、唯一これだけが自慢ですが。それにあれか。定年まで勤めあげたことくらいだなぁ。

 そんなことではない。言いたいことは。治部れんげ様から、「インプットの重要性」を教えていただいたということである。1の文章を書くのに、100のインプットが大事であるということを教えていただいたのだ。

 そりゃそうだ。なんでも体験から書いていたんじゃ、枯渇する。まさに、「100を1にする作業」なのである。100に値する努力をしていないと、当たり前のようだが、書けないのである。

 オレだって、論文めいたものを毎日書いているが、いつでもcomputerのキーボードをたたいておるわけではない。読書をしておる時間の方が、数倍上回るのだ。愚昧なるオレですらそうなのだ。世の中の俊秀は、さらにオレの数倍上回っておるのだろうと思うけど。研究者とか、学者先生もむろん言うまでもない。

 オレがまったくもって話にならない高校時代を送ってきて、それから大学の学部、専門学校、大学院の選科生、大学院の修士と働きながら苦学して生涯学習をしてきた。そのことを知人達は、よく知っている。だから、からかってくるのだ。「へっ?おめぇごときが高校の校長やれたのか?」って。わはははははである。自他共に認めておりまするから。エリートコースとはほど遠い人生ばかりだったのだ。

 だから、インプットが大切なのである。本当にそう思う。

 なんにも努力もせんで、なにかになった方はいないのである。そのことを忘れるではないぞよと、教えていただいたような気がする。

 さ、明日からまた努力しなくちゃならん。

 

 

 (^_-)-☆

 

 

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