年をとったら口やかましくなる。これは否定はしない。確かに、そうであろうと思う。だからうっとうしいと言われて、邪険にされる。
若いモンは、それくらいの方が頼もしい。「オレは、オレの実力で生きて行くワイ」というのが。いいものである。妙に世渡り上手で、政治家みたいな若者ではいかがなものか。確かに人間関係は重要である。なめたらあかんと思う。
しかし、良い意味での頑固さもあった方がよろしい。
それでも、愚生は自分より経験のある先輩方の経験智を知ることが楽しい。直接お会いしたり、議論をすることで、得るものが多いのである。
なかなかのものがあるからである。年上だけではない。自分より若い方々からも得るものが多い。ありがたいものである。実にありがたい。
だからである。
年をとったら、どんどん伝えることである。おせーてくれと言われたら、よけいがんばることである。手段はなんでもいい。クチでもなんでも。
知人で、そうしたことをB4の新聞にして作っている方がいる。楽しい試みである。あるいは、駅に俳句を飾っている方がいる。毎日楽しみで拝見させていただいている。新作が出ていると、思わずメモをしてしまう。居住地のグループらしい。中身を知らないので、どのような方々が作っておられるのかはわからないが。
「風姿花伝」を常時読んでいる。今の専門であるから。これである。高齢になったら。「私の風姿花伝」というものを作って、後進に伝えていただきたいと思う。ご自分のノウハウを講座でも作られて、伝えていただきたいと願う。一番弟子に愚生がなりたいからである。
レヴィ・ストロースの言う「贈与論」である。文化は伝搬されてこそ、活用される。
「トイレの神様」という歌もそうである。祖母からの、贈与である。あの歌は。長いので、むむむと、唸ってしまうが。歌っているじょせーが若いので戸惑ってしまうが。もしかしたら、祖母っていくつくらいなのだろうかと思ってしまう。愚生と年代が変わらなかったら、こりゃ(*_*) マイッタとなってしまう。
だったら、おめぇさんはどうだ?と言われるだろう。
愚生には、まことに幸福なことに、20人ほどのお弟子さんがいるのである。これまで蓄積してきたノウハウを、つまりそれはこれから教員として立つという希望を持っている大学生さんに「贈与」をさせていただいている。
大切なことがある。
それは「自慢話をしない」ってことである。
そんなもんでレベルダウンをしないことである。
そして、拙ブログである。
毎日、毎日まぁ実にネタが切れない。ある人に、どうせなんかの本を見ながら書いているんだろう?と言われたことがあったが、資料はあるにしても、全部自分の禿げたアタマでイメージを作ってから書かせていたいている。ナニカの本を見ながら書いていたら、こんなに長い間書けない。ネタが切れるからである。
たまに、ほんとうにたまにであるが、「読んでるよぉ~」ってメールをいただいたりする。中には大学に会いにこられる方がある。楽しいものである。
こんなじじぃではあるが、そういうちょっとしたことが生きがいでもある。
感謝させていただいています。
合掌・・・・・・・・・