と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

最初に入院した大病院での思い出

2022年11月17日 06時52分20秒 | 闘病記
最初に入院した大病院の脳外科にはボキの最後に在籍した高校のOGが多数いた。ナースで。ボキが校長時代の生徒だった方々もたくさんおられた。修学旅行に行った方々もだ。

ところがだ。当時の担任はフルネームで覚えていても、校長の名前なんか覚えていないのだ。確かこのヒトの卒業証書にはボキの本名が書かれているのだがと思ったが後の祭り。校長なんてその程度のもんだったよ。

ボキは入院直後からリハビリが始まったので、ウロウロ歩いていたが、ナースが声をかけてくださる。

大丈夫?というわけだ。

それにつけても軽かった。ありがたかった。患者のなかでは、トップクラスに軽かった。これが良かった。アタマを開く手術もなし。ただし、麻痺は残ったけど。

怖かったのが、言語を失ったのではないかという不安。言葉は神なりきとバイブルにあるが、あれを思った。もうブログは書けないと思った。つまらない人生だったと思った。センコー人生これにて終わりと思った。

ところが続いている。悪運強し。

ありがてぇなぁ。

また明日につづく。


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昨日大病院の脳外科に再診 結果オーライ もう来なくて良いと言われた 嬉しいです

2022年11月16日 08時20分25秒 | 闘病記
大病院の脳外科というのはおさまりが悪い。ほとんどが重傷者で(*_*) マイッタ。アタマをぐるぐる巻きにしている。手術したんだろう。軽傷なのはボキくらいだ。何しろ切っていないんだから。

ここに1ヶ月いた。で、リハビリ専門の病院に転院。良かった。何しろナース、介護士、リハビリ専門の療法士が実に優秀、懇切丁寧。ダンダン明るくなったよん。持ち前の冗談シマクラチヨコが出て困ったくらいじゃ。

寝てても希望を失わないこっちゃなぁとしみじみ思った。どんな境遇にあっても希望だけは捨てちゃアカン。

フランクルの「夜と霧」じゃよ。アウシュビッツの話だ。希望を捨て無い人だけが生き残ることがでるのだよん。

理学療法士がポーランドに行っていたのもエライ勉強になった。話があうのだ。お互い母親を脳梗塞で喪ったから余計じゃ。

ともかく一昨日退院するまでよくもった。昨日最初に入院した大病院に再診に行ったら無事合格。もう来なくていいと言われた。

ありがてぇなぁ。
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ことの発端は帰省した長女がボキの異常に気がついて

2022年11月15日 07時33分30秒 | 闘病記
8月13日に長女とワイフと朝飯をいたいていた。言葉が思うようにならない。さらに字も書けない。

やられたと思った。脳が。さらにキーボードもたたけない。

それから居住している大病院の脳外科へ。覚悟した。アタマを開く手術だ。これで人生終わったと思った。即入院。(*_*) マイッタ

長い長い入院生活の始まり。

言葉は神なりきというがまさに言葉を失ったら、人生終わりだと思った。

ベッドに横たわっていて、つまらねぇ人生だったなと思った。それでもボキはしぶとい。重傷者の多い大病院でここで死んじゃたまんねぇと思っていたんじゃ。

それからいろんな経験をした。ナース、介護士、理学療法士等々いろんな方々にお世話になった。これから記録して感謝していきたい。患者の身勝手さも実に勉強になった。戒めとして。
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退院しました なんと4ヶ月ぶり

2022年11月14日 15時51分28秒 | 闘病記
本日退院
8月13日に入院 
脳外科
脳外科というのは致命傷かと
今日までかかりました
しぶとく生き残り
またお笑い人生が始まります
軽い脳出血でありました

皆様よろしくたのんます
コメント (4)
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/