昨日に引き続き、俳人夏井いつきさんの「赤ペン俳句教室」でおっしゃろうとしていることを紹介してみたい。さらにあの「プレバト」というバラエティ番組で先生が評価されるのはどのあたりにあるのか探ってみたい。
序章:「はじめの一歩を踏み出すためために」ではちょっとした言葉選び、添削で劇的に違った俳句に変容する「言葉の化学変化」を楽しんでくださいとある。二つ目は俳句は型の文学だから言葉をパズルのように型にいれるメカニックな性質を持っていると言われる。東国原さんはこの辺りの勘どころを発見したのではないかね。普通人の発想をこえた句をだし、先生に評価されている。
花ふるえ富士の山火山性微動 桜と富士山の写真をみてこんな句を詠んでいる
さて俳句の表記の仕方。5、7、5の間をあけないことを序で発信しておられる。初心者はつい、5,7,5と指をおって俳句を考えてしまう。定型を尊重し定型にとらわれないスタンスがいるのではないか。
1章:季語は1句にひとつ?
1、17音のなかに重点が二つもあったら想いが分散、ピンボケになる。5,7,5という定型詩の舞台で主役を演じるのは一つの季語でなければならない。だから季重なりというのは舞台に二人の主役を配することになり収拾がつかないということ。
2、あじさいの車窓にはじけとぶ雫・・575区分にとらわれない・・元句は、あじさいの車窓に弾ける露の音。あじさいが夏、露が秋の季重なり。 音が車窓にとぶというのが? あじさいの(5)車窓にはじけ(7)とぶ雫(5)と添削。はじけ飛ぶをひとつにしたら5,9,3という調べになる。9は句またがり。
3、表記はあけない・・あじさいの 車窓にはじけとぶ 雫 と書かないこと。
4、時候の季語は具体的な映像をあらわさないのが多い→具体的映像表現にかえる
元句:夏の日の思い出にがしかき氷。夏の日とかき氷が夏の季語で季重なり。夏の日は季語だが具体提映像がない。映像のあるかき氷を残して、初恋の思い出苦しかき氷とする。くるしも漢字で苦しとしてイメージをより強く表現。漢字とかなの使い分け。
2章:発想の吹き溜まり(類想、類句)をどう脱するか
1.音数の数え方・・チューリップは5音。チュ、-、リ、ツ、プ
2.手垢のついた表現・・尾瀬の水芭蕉、白い絨毯→ましろき夢のごとき花。万華鏡→綺羅無盡
元句:夏めく尾瀬白き絨毯夢心地→夏めく尾瀬ましろき夢のごとき花
3、近所の宝満山と蓮華畑の写真で一句よんでみた。
紫の絨毯敷いて山笑う。 紫の絨毯や芝桜のピンクの絨毯は類句、類想表現。
むらさきの香りいただき山笑う・・・とすればどうでしょうか?!
4、元句:酔うほどに花火の川は万華鏡・・気分よく酔いながら花火を楽しんでいる。隅田川にうつる花火は万華鏡のようだ。酔うほどにと時間経過をあらわし、映像を空から川に移した視点は評価できる。しかし万華鏡は手垢のついた表現。
添削:酔うほどに川や花火の綺羅無盡。川やのやで切れ字詠嘆表現。万華鏡のキラキラした感じを綺羅であらわし尽きることがないという綺羅無盡で万華鏡を置き換えた。まあ夏井先生は中学校の国語教師を長くつとめられた経歴をお持ちのようだがまあボキャブラリーが質量ともに多違いだからすぐにはマネができないが常時歳時記に親しみボキャを増やすしかなさそうだね
写真表現でも被写体をよく観察して、左右のポジション、上下のアングル、前後のディスタンスと視点をかえて、写真モードを選び、ホワイトバランスをかえて、露出を補正していかに人と違う自らのオリジナル表現をするか?!写真も俳句も共通項はありそうですね・・・