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毎月恒例の椿花山武蔵寺での写経会に出席。今回は大震災でなくなられた方々の供養と被災者、被災地の早期復興を祈願して本殿で写経法要会が行われた。東北エリアの天台宗の各寺でも被害が相当だったらしく、寺関係者を九州であずかってほしいといった依頼もきているらしい。想像を絶する地震と大津波、さらに原発事故が重なり被害を大きくかつ長期化させている。原発はいまだ終息せず、5年10年の長期戦を覚悟せねばならない。福島原発と同型の原子炉を設計した元GE(ゼネラルエレクトリック)のエンジニアが欠陥品であることを某誌で暴露している。絶対安全といわれている原子炉格納容器がそうではないという進言をGEも東電もうけいれなかったという。まさに人災である。受け入れれば設置済み原発の安全性を全否定することになり経営の破たんにつながりかねないからである。
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井上住職から毎回法話がある。今回は仏教がどうしてうまれたか。釈迦は王子として裕福な暮らしをしていたが「四門出遊」で生老病死という人間の苦しみを知る。なぜ苦しむのか、どうしたら苦しみからぬけだせるのか。諸悪の根源、苦しみのもとは「執着」である。愛や欲への執着、いったん得たものは失いたくない。失いそうになると苦しくなり、正常な判断ができなくなる。「諸行無常」という言葉があるがこれは今の状態が永遠に続くということは絶対なく、常に変化するということ。さらに人は一人では生きられず、誰かの助けのもとに生きている、したがってありがたい(有り難い)ということを常に意識しておくことが肝要という。
とういうものの長年苦労して蓄積してきた財産、幸せな家族が大津波であっという間になくなってしまった時、こんな心境でいられるはずもない。
水というのは滝にもなり、氷にもなり、水蒸気にもなり、波になり、大津波にもなり、大河にもなる。同じ水ではあるが液体、固体、気体に変化する。喜びも苦もおなじというわけである。
深い傷痕は残るが必ず時が癒してくれることを信じて「同時」の心で祈るしかない。
「君の憂いにわれは泣き、君の喜びにわれも喜ぶ」・・・