葬儀の夜は弟の家に一同集まり話す。私は泊めてもらうことにして家内と息子は帰る。弟は整骨院(息子が経営)を1Fに2階は自らの母親と奥さんの老いた両親を2階に住ませ介護をしながら仕事をこなすという自宅建設と介護実践というとてつもないことをやってのけ今、奥さんの父親(86歳)を残すのみとなった。そして今日、奥さんのご御堂の一周忌で京都の大谷祖廟に行くことになった。わが母も49日明けにはその大谷祖廟に納骨し永代供養をお願いすることになる。真宗は東本願寺大谷派と西本願寺に分派している。東本願寺大谷祖廟は八坂神社の裏手、円山公園の奥にある。
久しぶりに京阪特急にのり四条河原町下車、南座があり中村美津子の看板が上がっていた。南座隣の松葉でにしんそばを食す。40数年前同志社大学を受験した際、食べた記憶がある。ちょこっと顔を出していたにしんがそばの下に大ぶりの体を隠している。結構ボリュウムがある。うまかった。1200円。八坂神社までの道、日曜日とて人でにぎわっていた。外人の数も多い。
朱色のインパクトが大きい。外人にはすごい異国情緒だろう。丸山公園を抜けると大谷祖廟への階段にさしかかる。親鸞聖人の墓所ゆえお静かに参拝されたしとある。それらしきたたずまいがあたりを支配している
去年、永代供養の申し込みをし、今年一周忌で合同供養となる。二時半から本堂に集合、床暖房された本堂にすわり僧侶を待つ。やがて4人の弟子を引き連れた大僧正がおでまし、鐘とともに読経がはじまる。随時、焼香がはじまり読経も終わり法話。法事とは仏事を契機として法話を聞き、自らの生きざまを問い直す自らのための儀式であると、故人の冥福をいのるものではないというお話。親鸞聖人は生者から死者をみるのではなく死者から生者をみる視点を訴えたとのこと。
帰り、長楽館でコーヒ&スイーツ。1400円也。伊藤博文が命名したという100年の歴史のある建物。疲れをとってくれる味わいであった。
四条から三条、祇園、先斗町を散策、日が落ちてきて冷えてくる。
喪中ではあるが熱燗をきゅっとやりたくなり鍋の看板にさそわれ鴨川沿いの店の2階にあがりこむ。熱燗が五臓六腑にしみわたる。兄弟としてそれぞれの道で、それぞれの女性と出会い、家庭をもち、親の死に直面し、今おたがい、酒をかわしながら語り合う。人生の道程をあらためて思う。うまい酒であった。