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241213 九博、「人吉球磨の玉手箱」見る、隠れ念仏!五木寛之の小説「親鸞」面白し、作家の底力!!

2024年12月13日 | アフターセブンティ

両親が亡くなったあたりから、我が家の宗派が浄土真宗で当初、西本願寺派と思っていたのが実は東の真宗大谷派であったことが判明したりして、法然や親鸞、蓮如に関心がでてきて、歎異抄や浄土真宗関連の書物を図書館で借りたりして研究するようになった。さらには作家、五木寛之さんや曽野綾子さんなどの著書から仏教やキリスト教への関心が深まった。70代の友人が洗礼をうけクリスチャンになるなど傘寿にもなった段階で信仰,信心などのテーマがより身近な関心ごとになった。

 

しかし理屈で読んだり考えたりしていても疑念は完全にはなくならない。書棚をみていると、7センチほどの厚いファイルに1913年夏に始まった西日本新聞の連載小説、親鸞完結編の切り抜きがされており、あらためて読んでみると非常におもしろかった。五木寛之さんは50歳で休筆して京都の龍谷大学で仏教を深く学ばれ、百時巡礼などでさらに仏教の神髄にせまられた作家。私が疑問に感じることが小説の中の登場人物によって解きほぐされていく。あらためて図書館で1部、2部を借りてきて読み返すと、小説の上で、迫真の緊迫感の中で解きほぐされてゆき、ひきつけらる。まさに作家の底力を見せられた感じ。すごいものである。

先日、九博のボラ活動のついでに、4F常設展示場の一角で「人吉球磨の玉手箱」という特別テーマ展をのぞいてみた。入り口に阿弥陀立像が展示されひきつけられた。人吉相良藩が1554年から300年にわたり浄土真宗の信仰を禁じた。

難しい修行などいらない専修念仏、ひたすら阿弥陀仏を信じ、南無阿弥陀仏を唱えれべ極楽浄土に行けるという。生きるも地獄、死んでも地獄と恐れていた庶民や下級武士まで信者がいたという浄土真宗。一向一揆にみられる彼らの団結を支配者層が極度に恐れた。隠れキリシタンがあったように隠れ念仏というのがあったことが史実として展示されている。

今時の日本人は来世のことなど考えはしない。目先の煩悩に振り回されている。そのくせ葬式ではご冥福を祈ります、安らかに眠ってくださいなどと弔辞でのべる。

 

華やかなマスコミ界で活躍してきたキャスターの小倉智昭さんが膀胱がんで亡くなられた。2016年に癌発覚、全摘手術を拒み内視鏡での部分摘出。2年後、肺に転移、膀胱全摘。そして腎臓にまで転移がすすみ、そして先日なくなられた。癌は人それぞれ。何が正しいかわからない。死ねば現世での華々しい実績、蓄積も本人にとっては無に帰する。この8年、本当の幸せとは何であったのか?というのが宗教、信仰の命題。

こんなあたりが小説親鸞でエキサイティングに展開される。今日、激動編上下2冊を借りてきた。しばし没入してみよう。

 

 

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