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170317 彼岸の入り、墓参。庭のモクレン開花寸前!瀬戸内寂聴仏教塾、お彼岸とは?

2017年03月17日 | 瀬戸内寂聴

庭の木々が芽吹き、ハクモクレンが開花寸前。

今日はお彼岸の入り。霊園まで20分、車を走らせ墓掃除、墓参

3~4台車が止まっていた。彼岸や、お盆、正月前などきちっと墓参りする家庭はどのくらいあるのだろうか。ほったらかしのような墓もここかしこにみられる。墓参代行業などがでるご時世だからいかんともしがたいがね。

そもそもお彼岸とは何か。「第四章 彼岸への細い道」で寂聴さんはこう説明する

 1、仏教では穢れた苦の多いこの世を穢土といい、苦も煩悩もない理想郷を浄土という。また現生のことを娑婆(サハ忍耐)ともいい、四苦八苦のこの世を耐え忍んでいかねばなりません。釈迦のおっしゃる八正道を実践すれば無明がなくなり浄土に行けるというのが仏教の教えです。

2、浄土は別名、彼岸といい日本では春分秋分の日の前後1週間をお彼岸と言って先祖供養する仏教行事になっています。しかし仏教の発祥地、インドにも中国にもこの習慣はない。もともと日本は「豊葦原の瑞穂の国」という農業国、太陽に対する信仰があり特に春分秋分時には田植えがうまくいき、秋には収穫をねがう農業神事だった。

3、1300年前、奈良時代、中国の善導大師が浄土は西にある(西方浄土)と著述し浄土教を大成させた。その話が日本に伝わり太陽の沈むさらに西方に浄土があると信じられるようになり農業神事が仏教神事となり先祖をうやまい供養する日となった。ほんとなら毎日先祖に手を合わせねばならないが現代の凡夫の為に年2回は墓参りしなさいということでお彼岸の行事ができた

4、お盆はお経に由来する行事で中国にもある。釈迦の弟子の目連は神通力をつかってなくなった母の姿をみたが地獄の苦しみをしている。生前人の為になることをしなかったからと釈迦にいわれる。母親の罪を償うにはお前が夏安吾の終わった僧侶たちに布施をしなさいというのが「盂蘭盆経」に記されている。夏におこなわれる僧の修業である夏安吾のあと、目連は僧たちにたっぷり布施をして母親の地獄を救ったとある。

5、母親の地獄で受けていた罰を「ウランバナ」といい逆さづりの苦しみという意味。ということでお盆は正式には「盂蘭盆会」といい、亡くなった人がどうか極楽浄土に行けますようにと祈願する仏事ということになる

6、さて、われわれは浄土にいけるのか?先の善導大師が「観経疏」かんぎょうそのなかで「二河白道」というたとえ話で説明している。ある若い僧が西方浄土をめざし西へ西へといくと15センチほどの細い白い道にでくわす。南側は燃え盛る火の川、北は濁流の水の川で白い道に襲い掛かってくる。背後には悪獣がおしよせ進退窮まる。背後からは「釈尊が恐れず進めと、西方からは阿弥陀様が一心に仏を祈って走ってきなさい」嫉妬の火の海、欲望の洪水をやっと若い僧はのがられて浄土にたどりつく

7、このように修行僧でも彼岸に渡るのは大変、凡夫の我々はなおさらむつかしい。が死ねば仏さまになって彼岸に行ける。刑事映画で死人を仏さまとよんで手を合わしている。しかし浄土に行くためには先の善導大師は南無阿弥陀仏と一心に唱えながら彼岸への道を渡らねばならないと説く。南無阿弥陀仏・・身も心も阿弥陀様にお任せします!ひたすらナンマンダととなえれば浄土に行けると中世日本人に説いたのが法然や親鸞であった。南無阿弥陀仏は彼岸へのパスポートというわけ。

8、問題は現代人というか日本人はいざというときには神頼みをするくせに普段は眼に見えないものは信じることができなくなってしまったことにある。アメリカや中東ではどうか?キリスト教やイスラム教への信心はどうか・・・また次回のテーマにしよう!


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