ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

141210 はや師走だが気分は低調。藤沢周平「三屋清左衛門残日録」再読、わが身と比較。

2014年12月10日 | アフターセブンティ

 先月末はブルーインパルスの撮影バスツアーが雨で中止、翌日の例会も夜空の星の軌跡を撮る比較明合成などの手法紹介があり盛り上がりはしたが、新年会などもやるかやらないか決まらず総体にやる気パワーが低迷。寒気などが押し寄せると余計に行動が鈍くなる。この春、52日間9000キロ日本一周軽キャン車旅をやりきった気合が最近はやや低迷。

今朝は久しぶりに晴れて外をみるとうろこ雲のような感じで空が輝いていた。さっそくカメラをだして数カット。その後朝食。トースト&バター。キャベツ、ブロッコリー、ウインナをむして温野菜。

9時半、久山トリヤス方面へ。妻の花調達のおつきあい。ダイソーによる。しかしまあいろんな商品を100円200円でそろえたもんだね。なかなか面白い。深井の花卉店で花を調達して、近くのてんぷら屋で昼食。720円なりの定食、ボリュームたっぷり、熱々のてんぷらファーストフードだね。満腹。14時帰宅。藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を引っ張り出し読む。

 藩主交代を機に一緒に用人の職を辞任し、息子に家督をゆずり、隠居となった主人公の完全リタイヤ後の生き様や心模様をいぶし銀にも似た筆致で見事に描かれている傑作長編小説。妻に先立たれ、息子の嫁に世話になっているが世間から隔てられた寂寥感や老いた身を襲う悔恨、あるいは老いゆく日々の命の輝きなどが旧友との交流や小料理屋のおかみとのつきあいの中で描かれている。

 この小説と自分との最大の違いは気の置けない親友がいないということかもしれない。大阪、京都で育って今九州福岡。幼い時からの友人との付き合いは途絶えてしまっている。なんでも話せるようなママさんのいる店もないしね。あらためて70歳、古稀、これからの10年の生き方もあらためて見直す必要がありそう・・・

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141207 武蔵寺へ本年最後の写経会、底冷えの本堂で写経法会、その後、空調の効いた写経道場で!

2014年12月07日 | 趣味と交遊

 先月、写経埋納法会があったことはブログで書いたが青天になったのは3年ぶりらしい。世話人代表のMさん(どこかの会社社長)写経歴30年という。同じ状況がづっと続くことはない(変化こそ常道)、一人では何もできない、すべてお陰様という気持ちが必要。般若心経の基本理念、無常と無我。この教えが経営上非常に役立った。30年続けてよかったという挨拶をされた。

今日は男6人、女14人、平均年齢は何歳になるかわからないがそれぞれ何らかの動機があって写経を始めたのだろうが月1回のことだから、住職の法話もあるし続いているのかもしれない

写経前の本堂での写経会法要、参加者とその家族の安寧を祈願し、災害被災者の早期復興を願って毎回実施される。エアコンがないから心底冷える。みんな防寒着を着込んで参列。住職は寒くないのかね。20分間ほど法華経や般若心経を読経していると寒さも忘れてくる。

 写経の後の法話。体解(たいげ)が大事といこと。今の子供はちやほや育てられているから忍耐力なくすぐ切れる、打たれ弱い、基礎体力も低下、スマホばかりで想像力欠如、生身の人間と付き合えない。本堂の寒さを体感、体解すると寒空での被災者の気持ちになれる。まあ当たり前のことだがね。

 軍師官兵衛の水五則に学ぶ。如水とはいい名前だ。水五則とは

1、自ら活動して他を動かしむるは水なり

2、障害にあい激しくその勢力を百倍にしうるは水なり

3、常に己の進路を求めて止まらざるは水なり

4、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁をあわせ容るは水なり

5、洋々として大洋を満たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じあられと化して玲瓏たる鏡となりたえるも、その性を失わざるは水なり

学んだ証はかわること。再誕、生まれ変わる。気付き、悟り、自覚。しかし世の中にはストーンヘッド、凝り固まったガチガチ頭の人間がおおすぎるように思うが、融通無碍にやわらかく生きたいものだ

法話、ちゅうじきを終えて帰ってゆく。

武蔵寺入口の門の横にお地蔵さんがたっていらっしゃる。真言、おん、かかか、びさんまえい、そわか

ひたすら、真言を唱えるとご加護があるということ。酉年の私の守り本尊は不動明王。真言は「のうまくさーまんだー ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたやうんたらた かんまん !!!

来年のひつじ年の人は大日如来。真言は「おん あびらうんけん ばざら だとばん」

 

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141206 初雪、寒い。鳴らなかったインタフォン修理、さすがプロ!。ボーリング、久しぶりの200アップ、

2014年12月06日 | 趣味と交遊

 昨晩から日本海側、北海道大雪情報、なんで愛媛香川ラインで大雪、車動けず?わが町も初雪、冷たい風がふくなか、H電工のサービススタッフがわが家のインタフォン修理にきてくれた。去年3月に雨が降った後、階段灯当たりのブレイカーがおちるということで一度きてくれたが、地下の配管を掘り返す必要があるとかで夜は真っ暗だがそのまま放置していた。その時鳴っていたインタホンが最近、ボタンを押してもならなくなってしまった。ボタンを押してもいないのにキンコンカンとなったりして訳が分からない。

 ネットで調べるとパナソニックのテレビドアホン、ワイヤレス子機、取り付け工事付きで3万円でOKとある。住宅メーカー経由で見積もりをとると8万以上かかる。しかし上記のような事情があるので今一度メーカー経由でH電工に来てもらった次第。

 雪がちらつく中いろいろチェック。外ブタをはずすと小さなヤモリがでてきた。ちいさなわが家になっているのかもね。結局は18年前に設置したポストつきのインタフォンの押しボタンカートリッジが雨その他で回路がショート、押しもしないのに鳴ったり、通常時に押しても鳴らないということになっていた模様。もう同じ部品はない。左上の代替品に交換。インタフォンの機能は回復。つぎは郵便受けのライト。水道そばの引き込み口の配線チェック、ダイレクトに直結。6Vの細い蛍光管はもうない。

代替品を押し込むがサイズがあわない。受け口をカットしたりしてセッチング成功。やっと門扉サイドのインタフォンと灯りが確保。眼に見えない電気をよみながら問題解決してしまう、さすが専門家は違うね。

応急処置でホームセンターで買ってきた電池式のセンサーライトを階段上り口に設置。今晩センサー機能をチェックしてみよう。テレビインタフォンの導入は次回にすることにする。修理代は後日営業から電話させますということ。去年の見積もりは2万弱だったがメーカー契約工事会社だからまあいい加減な数字は出さないだろう。懸案事項が解決してほっと一息。熱いお茶とお菓子をたべてもらって作業終了。

和室で一息。窓から紅葉したモミジが美しい。

カップエビ天ソバの昼食。雪山やスキー場ではこの暑いカップめんはぴったりだろうね。121円の円安で1000もの食品が値上げされるらしい。この天ソバ、いっぱい130円だがいくらになるのだろうね。結局日本経済は2年連続でGDPマイナス成長になる模様。アベノミクスのどこが問題かしっかり検証がいるね。喜んでいるのは自動車メーカーと海外からの日本への旅行者だけかもしれない。

昼からボーリングに出かける。土日以外はガラガラ。われわれの例会は金曜日、客は2グループのみ。個人消費は盛り上がらない。

景気づけに照明をかえて音楽をバンバン鳴らして、スタッフがディスクジョッキ並みにやる。

第一、第三水曜日は3時から1ゲーム100円。この日だけは満員。客は正直なものだ。久しぶりに200をオーバー。

しかし残り2Gが150、128.結局はアベレージ160.このばらつきが問題だね。プロはぶれないことが基本。たまたま200はダメです。

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141204 藤沢周平の「風の果て」上下巻、久方ぶりに再読。人間の運命はひと、事件との出会いで変わる!

2014年12月04日 | アフターセブンティ

 結局、葉室麟原作「蜩ノ記」(直木賞受賞)の映画は見ずじまいだったが、その葉室麟さんが西日本新聞で感動した書籍で藤沢周平の「風の果て」をあげておられた。ということで書斎の上段にならべられている藤沢周平の文春文庫、50冊以上ならんでいるがその中から風の果てを引っ張り出し読んでみた。

 NHKの木曜時代劇でも放映されたようだが覚えていない。原稿用紙1000枚にも及ばんとする長編時代小説、どこの藩の物語なのか明記されていない藤沢周平独自の想像力にもとづく時代小説といえる。よくこれだけかけるなと思わせるくらいの城下の町並みの詳細描写、最初読むのがめんどくさくなり飛ばし読みになりがちだが物語の展開に次第に引き込まれてゆく。

 士農工商という厳然たる身分階層があった江戸時代、上士、下士、どちらの家に生まれるか、長男か次男、三男かによって将来の運命が分かれる。幼少の頃はどこの子供か関係ない仲良し5人組、同じ道場で剣の修行にはげむ。この5人が成人になってゆく過程で運命の非常な饗宴のなかでもがくさまが見事に描かれている。歳月とは何か、運とは悲運とは?現代社会にも通じる武家小説の傑作だなとあらためて痛感。福岡から新大阪まで新幹線通勤していた頃、行き帰りの車内で読んだ藤沢作品、あらためて読み直そうと思う。

 物語はその5人のうち、軽輩の子でありながら主席家老にまで出世した桑山又左衛門のもとに、ある日、かつての道場仲間の市之丞から果たし状が届くところから始まる。劇的な出だしである。かつての道場仲間は1千石の跡取りが一人いるほかは皆貧しい下士の二男、三男でいかに恵まれた婿入り先と出会うかが関心の的だった。

 窮迫する藩の財政を改革する一手が未開の荒れ地を田畑に開墾できるかどうかという時に衛門(幼名隼大)は今でいう土木技師の桑山孫彦と山中でであい、その縁で婿入りして、わがまま娘との冷めた夫婦生活を送りながら不可能と思われた荒れ地開墾に成功して主席家老にまで出世する。一方、市之丞は婿入りもせず、勤めもせず、剣のみに頼る生きざまで、途中、藩を脱藩した友達の討手になり壮絶な戦いで友を殺戮し、以後人生を食わせてしまう。栄華を極めたとはいえ、トップの座は孤独な泥の道。

 「策謀と収賄、権力に近づいて腐り果てるのがお主の望みか」と市之丞は又左衛門を罵倒する。また左衛門は1千石の跡取りを権力の座から蹴落とし、権力の頂点にたったが、だからこそ友と切りあわねばならないのだと心は暗い。

 安サラリーマンでいろいろ苦労はあるが家庭をもち、ほどほどの幸せをかみしめるのが良いのか、ガムシャラに金と権力のざ座を追い求め、美食にあけくれ、病気に倒れ死んでゆく。人間の幸せとは何かを考えさせる作品だね。しかしながら藤沢周平という作家の物語の構成力はすごいね、権力争いの様相などなにがしかの経験がないと描けないように思うがまあ大したものだ

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141203 白内障手術すごいもんだね。初冬の大宰府政庁跡、ペンタックス50mm単焦点レンズで撮る

2014年12月03日 | 趣味と交遊

(手術とは無関係の写真。トイ写真風に3重露出で)

 昨日、妻がY眼科で右目についで左目の白内障手術、無事終了前回に続き、手術状況を視察しました。手術の出来、不出来にについてはどこを見ればよいかよくわかりませんが鹿児島から来院する人がいるくらいですからY先生の腕は確かなのでしょう。いずれにしても近代医学はたいしたものですね。

 濁った角膜を高周波で砕いて吸い取って、受け皿を残してつるがついた眼内レンズを筒状の
もので受け皿に滑り込ませる、これすべて顕微鏡でやってるのですかね。するっとレンズが挿入されてはい終了って感じ。あっけないくらでいすがすごいものですね。10分ちょっとで終了。日帰り。おかげで簡保では手術給付金はでない。給付は入院が条件となっている。今日、術後の検診。待ち時間、ちょっと足を伸ばして政庁跡へ。あまり使ったことのないペンタックスのF1.4の50ミリ単焦点レンズのためし撮り。紅葉はほぼ終わった感じではあるが・・・。非常に寒い。寒々とした都府楼跡ではある。

日ごろは安直に18-200の望遠と、fz200のF2.8、600ミリで写真をとっているがF1.4の単焦点レンズ、まあまあの解像度ではありました。前によったり下がったりは必要ですがね

Y眼科にもどる。眼帯をはずした妻がでてくる。手術2日目で左の視力が裸眼で1.0という。1か月前にした右眼は0.9ということで車の運転はまったく差支えなし。ただ新聞など近くは老眼鏡がいるとのこと。まあすごいもんですね。ほとんどないらしいがあとあと問題なく落ち着いてくれることを願うのみだね。

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