そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

真央ちゃん四連覇

2009年12月28日 | 日めくり帖
12/28
「真央ちゃんの五輪をかけた全日本200点越え優勝果たす()」
「薄氷を踏む思いして見守れるよかったと妻胸撫で下ろす()」
「トリノでは歳満たないとはずされる神見放さずバンクーバーへ()」
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沈痾自哀文の語呂合わせ〔2 〕

2009年12月27日 |  / 万葉集
12/27
「1.帛公ホウコウは死は畏るべし死んだなら鼠の生にしくはなしとぞ
(帛公ホウコウ略説に曰く、『伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。
生は貪るべし、死は畏オソるべし』と。天地の大徳を生と曰ふ。
故に死人は生ける鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、
金を積むこと山の如くありとも、誰か富と為セむ。威勢イキオイ海の如く
ありとも、誰か貴しと為む。)」
「2.もどかしく思いし憶良いかにして生の尊さ言えばいいかと
(遊仙窟に曰く、『九泉下の人、一銭にだに直アタヒせず』と。孔子の曰く、
『天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは
寿イノチなり』と
鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。
言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。慮オモヒハカらむと欲へば
慮オモヒハカり絶ゆ、何に由ヨりてか慮らむ。()」
「3.賢愚なく今も昔も関わらず歳月流れ皆嘆きたり
(惟以オモヒみれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸コトゴトく悉ミナ
嗟歎ナゲく。歳月競ひ流れ、昼夜息イコはず )」
「4.時なるは行きて帰らぬ川なりし悔い残さずに過ごさざらめや
(曾子曰く、『往きて反らぬものは年なり』と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。
老疾相催し、朝夕侵し動サハぐ。)」
「5.(一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、
『未だ西花の夜を尽さず、劇タチマチに北芒の塵となる』と。
千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 詩に云く、
『人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ。』
若夫ソレ群生品類、皆尽くること有る身を以て、並トモに窮り無き命を
求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて
合薬する者は、性を養ひ神を怡ヨロコび、以て長生を求む。()」
「抱朴子に曰く、『神農云く、〔百病愈えずは、安イカニぞ長生を得む〕』と。
帛公又曰く、『生は好き物なり。死は悪しき物なり』と。若し不幸にして長生を
得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、
臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて
甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、
頓タチマチに此の病を除き、頼サキハヒに平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、
豈に愧ぢざらむや〔已に上に見ゆ。〕)」
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沈痾自哀文の語呂合わせ〔1 〕

2009年12月26日 |  / 万葉集
12/26
「1.生きるため獣魚を殺せど科はなく况乎イワンヤわたし善人なりと
(山野に佃食する者、河海に釣漁する者、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し)」
「2.三宝を敬い神も大事にし何で病を吾得たるのか()」
「3.罰ならば過去に作りし罪なのかはたまた今に犯せるものか()」
「4.還暦を過ぎた頃から病得ていままた新たに病を加う(是の時年七十有四)」
「5.瘡に塩短き材をさらに切る四支は動かず節々疼く
(身体はなはだ重きこと、猶鈞石を負へるがごとしと)」
「6.鈞石は重さの単位四鈞ヨンキンが一石イチジャクという
(二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、
四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。)」
「7.人は皆老いを過ごせど憶良のみこんなボヤキを呟きたるは
(記録として残しているのはさすが)」
「8.翼折る鳥か足折る驢馬のごと自由が効かぬ体となりぬ()」
「9.俗世に長くいたれば心身の弱わるそのもと問わざるはなし
(吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累ツナがるるを以て、禍の伏す所、
祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はず
といふこと無し。)」
「10.告げるとこ虚実はあれど従って幣奉り祈祷欠かさず
(若しは実なれ、若しは妄イツハリなれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、
祈祷せずといふこと無し。)」
「11.前の世は良医が多くいたらしき蒼生アヲヒトクサの病患ヤマヒを救療イヤせり
(吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、
秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし
良医にして、除愈せずといふこと無しと)」
「12.かの国の名医は外科の手術などよくしたるのか世に伝われり
(扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を
置き、投イるるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、
字は元化、沛国のセフの人なり。若し病結積ムスボれ沈重オモれる者有らば、
内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして
差イゆ。件の医クスシを追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。)」
「13.もし聖医神薬などにに逢うならば、腹割きひらき病巣知らん
(若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳サきて百病を抄採サグり、
尋ねて膏盲の奥処アウシヨに達イタり 盲は鬲なり。心の下を膏とす。
之を改むること可ヨからず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ
匿りたるを顕さむと欲ス 謂ふは、晉の景公疾み、秦の医クスシ緩視て還りしは、
鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、な
ほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。)」
「14.いかほどに外科の考え進みたる1300年の前のこの世に()」
「15.生録に満たぬ歳にて亡くなれるこんな悲しみ優るものなし
(何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉ヨコシマ殺せられ、
顏色壮年にして、病に横ヨコシマニ困せらる者をや。世に在るの大患、
孰イズれか此より甚だしからむ 志恠シイ記に云く、『廣平の前の大守、
北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、
〔我が生録を案ふるに、寿ヨハヒ八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、
已に四年を経たり〕と。
此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活ヨミガヘることを得たり』といふは是なり。
内教に云く、『瞻浮州の人は寿百二十歳なり』と。)」
「16.内教が伝えるところ人の歳百二十歳生きた人あり
(須弥山の南側の瞻浮州センプシュウの人)」
「17.延命のお経があって仏にと頼んで寿命延べた人あり
(謹みて此の数を案ふるに、必ウタガタも此を過ぐること得ずといふに非ず。
故に寿延経に云はく、『比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、
仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり』といふ。但善を為す者のみ、
天地と相畢ヲはる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて
半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと
曰ふ。()」
「18.病とはいつも妖気と限らない口から入る節制しろと
(任徴君曰く、『病は口より入る。故に君子は其の飲食を節ツツシむ』と。
斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、
飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち
耳に満つこと由来久し。)」
「19.人は皆自分の死期を知らぬなり知れば何とかのばさんとする
(抱朴子に曰く、人は但其の当マサに死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。
若し誠に、羽カク期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。
此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら
治むること能はぬものか。)」

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万葉集#沈痾自哀文〔#5.0896 の次〕

2009年12月25日 |  / 万葉集
12/25
「自哀文あまりに長く語呂合わせ別のところで試みました
(沈痾自哀文 山上憶良作)」
「ここにては原文あげる声出して味わってみん憶良節など(以下原文)」
「竊ヒソかに以オモヒミるに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を
度ることを得[謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、
大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆ミナ殺し食らふ。此を以て
業と為す者をいへり。〕
昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす
〔謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の
上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。〕
况乎マシテ我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し
〔謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。〕
所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、
百神を敬重し、夜として欠けたること鮮ナし
〔謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎アア恥ヤサしきかも、我何イカ
なる罪を犯してか此の重疾に遭へる〕
〔謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、
罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。〕
初めて痾ひに沈みしより已来コノカタ、年月稍多し
〔謂ふは、十余年を経たるをいへり。〕
是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸ワウルイ。但に年老いるのみに
あらず、復た斯の病を加へたり。
諺に曰く、『痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る』といふは、此の謂なり。
四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし
二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、
四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、
翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足アシナヘの驢ウサギウマに
 比タグふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累ツナがるるを以て、
 禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、
 徃きて問はずといふこと無し。
若しは実なれ、若しは妄イツハリなれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、
祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差イゆること
無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、
華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に
在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、
勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、投イるるに神薬を以て
すれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフの人なり。
若し病結積ムスボれ沈重オモれる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。
縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして差イゆ。件の医クスシを追ひ望むとも、
敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳サきて
百病を抄採サグり、尋ねて膏盲の奥処アウシヨに達イタり 盲は鬲なり。
心の下を膏とす。之を改むること可ヨからず。之に達れども及ばず、薬至らず、
二竪の逃れ匿りたるを顕さむと欲ス 謂ふは、晉の景公疾み、秦の医クスシ
緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、
其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を
免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、
顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より
甚だしからむ 志恠記に云く、『廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、
 年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、
 寿ヨハヒ八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。
 此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活ヨミガヘることを得たり』といふは是なり。
 内教に云く、『瞻浮州の人は寿百二十歳なり』と。謹みて此の数を案ふるに、
 必ウタガタも此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、
 『比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、
 則ち十八年を延べたり』といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢ヲはる。
 其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の
 算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、
 『病は口より入る。故に君子は其の飲食を節ツツシむ』と。斯に由りて言はば、
 人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、
 知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。
 抱朴子に曰く、『人は但其の当マサに死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。
 若し誠に、羽カク期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ』と。
 此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、
 自ら治むること能はぬものか。
 帛公略説に曰く、『伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、
 死は畏オソるべし』と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。
 王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と
 為セむ。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。
 遊仙窟に曰く、『九泉下の人、一銭にだに直アタヒせず』と。
 孔子の曰く、『天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて
 請益すべからぬものは寿イノチなり』と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の
 極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか
 言はむ。慮オモヒハカらむと欲へば慮オモヒハカり絶ゆ、何に由ヨりてか
 慮らむ。惟以オモヒみれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸コトゴトく
 悉ミナ嗟歎ナゲく。歳月競ひ流れ、昼夜息イコはず
 曾子曰く、『往きて反らぬものは年なり』と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。
 老疾相催し、朝夕侵し動サハぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の
 時賢を惜しむ詩に曰く、『未だ西花の夜を尽さず、劇タチマチに北芒の塵と
 なる』と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、『人生百に満たず、
 何ぞ千年の憂を懐かむ』。若夫ソレ群生品類、皆尽くること有る身を以て、
 並トモに窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を
 負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を怡ヨロコび、以て長生を求む。
 抱朴子に曰く、『神農云く、『百病愈えずは、安イカニぞ長生を得む』』と。
 帛公又曰く、『生は好き物なり。死は悪しき物なり』と。若し不幸にして長生を
 得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、
 臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて
 甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、
 頓タチマチに此の病を除き、頼サキハヒに平の如くあるを得む。鼠を以て
 喩とす、豈に愧ぢざらむや〔已に上に見ゆ。〕
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万葉集#5.0894-5.0896 〔好去好来の歌〕

2009年12月24日 |  / 万葉集
12/24
「遣唐使無事旅せよと送りだし無事の帰りを祈る歌らし
(好去好来の歌一首、また、短歌)」
「1.昔から倭ヤマトは皇神スメカミ治められ言霊コトタマ幸サキはふ国と伝えり
(神代より言ひ伝て来ケらくそらみつ倭ヤマトの国は皇神スメカミの
厳イツクしき国言霊コトタマの幸サキはふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり)」
「2.選ばれし家の子なりと大御言戴き行ける唐モロコシの国()」
「3.船舳フナヘには諸々の神導きて倭の御魂ミタマも天翔アマカケり来る
(遠き境に遣はされ罷りいませ海原の辺ヘにも沖にも神づまり領ウシハきいます
諸々の大御神たち船舳に〔反云、フナノヘニ〕導きまをし天地の大御神たち
倭の大国御魂ミタマ久かたの天アマのみ空ゆ天翔アマカケり)」
「4.事なして帰らんときも御神等が手を貸したまう障ツツみはなけれ
(渡したまひ事終り帰らむ日には又更に大御神たち船の舳に御手うち掛けて()」
「5.墨縄を延ハへたるごとく阿庭可遠志アチカヲシ値嘉チカの崎より早帰りませ

(大伴の御津の浜びに直タダ泊てに御船は泊てむ障ツツみなく幸くいまして
早帰りませ)」
「神代より言ひ伝て来ケらくそらみつ倭ヤマトの国は皇神スメカミの
厳イツクしき国言霊コトタマの幸サキはふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり
今の世の人もことごと目の前に見たり知りたり人さはに満ちてはあれども
高光る日の朝廷ミカド神ながら愛での盛りに天の下奏マヲしたまひし家の子と
選びたまひて大御言〔反云、大命オホミコト〕戴き持ちて唐モロコシの
遠き境に遣はされ罷りいませ海原の辺ヘにも沖にも神づまり領ウシハきいます
諸々の大御神たち船の舳に〔反云、フナノヘニ〕導きまをし天地の大御神たち
倭の大国御魂ミタマ久かたの天アマのみ空ゆ天翔アマカケり見渡したまひ
事終り帰らむ日には又更に大御神たち船の舳に御手うち掛けて墨縄を延ハへたる
ごとく阿庭可遠志値嘉チカの崎より大伴の御津の浜びに直タダ泊てに御船は
泊てむ障ツツみなく幸くいまして早帰りませ神代より言ひ伝て来ケらく
(#5.0894)」
「大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ(反し歌#5.0895)」
「大伴の御津の松原掃き清めわれらは待てる早帰りこせ()」
「難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ(#5.0896)
「難波津に船が着いたと聞こえたら紐もそこそこ駆けつけましょう()」
「憶良宅帰朝の挨拶うけたらし二日あとには上申をする
(天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。
大唐大使モロコシニツカハスツカヒノカミの卿の記室)」


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