(富士山の画像は「デジタル楽しみ村・転用フリー写真集」より)
「音楽に寄せて」(An Die Musik)のカテゴリー名は、
シューベルト(Franz Schubert 1797-1828)の歌曲から採らせていただきました。
(堀内敬三 訳詞)
楽の音(ね) わが悩むとき
心を訪れては
温き愛を充てつつ
清らかなる境に
わが身を伴いぬ
私にとって好きな音楽は、
CDを聴こうとBSで楽しもうと、
ショパンの幻想即興曲でもモーツァルトのヴァイオリン協奏曲でも、
なごり雪でも川の流れのようにでも、
カラオケ、鼻歌なんであれ、
みんな宝物なのです。
・・・・で、なぜ富士山かといいますと。
この曲は、淡々とした8分音符のピアノ伴奏に乗せて、
最初はおさえて次第に高まりゆく、そんな曲想です。
それはちょうど、富士山の西側の裾野から頂きにかけて、
ゆるやかになぞって描いて行くみたいに、私には感じられます。
たとえが、あんまりでしょうか?
「あーたまをくーもおのー♪」と、歌を取り違えた訳ではありません。
このシューベルトの歌曲のイメージを花にたとえると、ありました!
大好きな色彩のコンビネーション、ホワイトと濃いグリ-ンです。
花の名前は知らないのですが・・・・。
(ハンガリー・パンノンハルマ修道院 2005年6月)
「音楽に寄せて」(An Die Musik)のカテゴリー名は、
シューベルト(Franz Schubert 1797-1828)の歌曲から採らせていただきました。
(堀内敬三 訳詞)
楽の音(ね) わが悩むとき
心を訪れては
温き愛を充てつつ
清らかなる境に
わが身を伴いぬ
私にとって好きな音楽は、
CDを聴こうとBSで楽しもうと、
ショパンの幻想即興曲でもモーツァルトのヴァイオリン協奏曲でも、
なごり雪でも川の流れのようにでも、
カラオケ、鼻歌なんであれ、
みんな宝物なのです。
・・・・で、なぜ富士山かといいますと。
この曲は、淡々とした8分音符のピアノ伴奏に乗せて、
最初はおさえて次第に高まりゆく、そんな曲想です。
それはちょうど、富士山の西側の裾野から頂きにかけて、
ゆるやかになぞって描いて行くみたいに、私には感じられます。
たとえが、あんまりでしょうか?
「あーたまをくーもおのー♪」と、歌を取り違えた訳ではありません。
このシューベルトの歌曲のイメージを花にたとえると、ありました!
大好きな色彩のコンビネーション、ホワイトと濃いグリ-ンです。
花の名前は知らないのですが・・・・。
(ハンガリー・パンノンハルマ修道院 2005年6月)
アンジェラさんが、どうかはわかりませんが・・・・。
クラシックは敷居が高く感じる人って、かなり多いと思います。
私なんか、クラシックの中でも敷居が高いと感じる作曲家なんかがたくさんいますし。
結局は、趣味の問題、好き嫌いの問題なんでしょうね。
私は、単に好きなものは好きだという主義です。
だから、クラシックも聞けばカラオケも歌います。
ビートルズの歌も美空ひばりの川の流れのようにも、
夏のサザンに冬のユーミンも大好きです(今もこう呼ぶのかな?)。
最近は、一青窈の歌やステージに魅力を感じてます。
アンジェラさんも、サガンの「ブラームスはお好き?」ではないですが、
モーツァルトあたり、一度いかがですか?
たとえば、バラの優雅さに通じるところがありますよ。
人によって色々な感性があるのだな~と思いました。
そして・・折節さんはとても感性豊かな方なんだな~と。
富士山の光景からそんなイメージを抱かれるなんてすごいな~と思いました。
こういうこと思い浮かべるのは自由だけれど、言ってしまったら、何となく良くないような気もしてるんです。
変だよなあ、悪ふざけだよって。
でも、いいか。
hanachanのように言っていただけたら、
やっぱりうれしいですもん。
そんな風に、イメージしたままを記したのですから。
ゆったりとできるから。
でもね、詳しくないのです。
そうですよね。
そうだと思ってました。
どんな音楽でも、聴いてすっとふところに入ってくるような感じの曲が、自分にとっていいみたいです。
そうそう、ゆったりとくつろげる感じ。