一応人間を何十年もやってますと、当然積み重ねた年月、歳月というものがあります。
時に重くのしかかるものであったり、時に優しく励ましてくれるものであったり・・・・。
まだ、そんなに重みのなかった頃(つまり体重60キロくらい?)と歌のお話。
(ハナミズキ)
18歳、九州の田舎の高校を卒業後、神戸で4年間過ごしました。
少し高台にある大学で、私の在籍した経済学部のキャンパスもそんなに広くはなかったのですが、緑の芝生が一面にしきつめられ、ヒマラヤスギの尖がった濃い緑色とともに、くすんだクリーム色の本館学舎が、今も心に焼き付いています。
(ジャスミン)
キャンパスからの眺め、神戸の街の景色の素晴らしさは、絶対に忘れられません。
目の前、真下には神戸の街並みに神戸港、東は大阪方面、遠く生駒山系がかすみ、
大阪湾が細長く和歌山方面へ伸びて、南に向かっては紀伊水道の水面がきらきらと光に映えていました。やや西に目をやると、淡路島、明石海峡、そして四国山地がこれまた遠くにかすんでいました。
この頃は、まだ見ぬその四国の地で、人生のほとんどが決せられるとは知る由もなかったのです。
(グリーンアイス)
そうそう、冬の日の夕方の講義ともなりますと、日が暮れてしまうこともあるわけです。
ドイツ語は好きで結構勉強しましたが、さすがにドイツ語の経済学原書は苦痛でした。
そんな講義に限って、4次元目とかに設定されていて、終了時刻なんか超過したりで、
ですから、日も勝手に暮れてしまって・・・・何を言おうとしてたんだろう・・・・。
(アンジェリケ)
あぁ、日が暮れるということは、街の灯がともるわけです。
神戸の夜景、光の量そのものは今より少なかったでしょうが、遠くの大阪からこちら神戸にかけての暗闇の中に映える光の美しさはたとえようもなかったと記憶しています。
(アズーロ・コンパクト)
残念ながら、この頃は、私の魅力(?)は、脚の短さにすっかり隠れてました。
つまり短い脚に隠れるほどの魅力すらありませんでしたので、いつもフリー(!)でした。
いや、ドイツ語が恋人だった分、ドイツも恋人でなかったのです(?)。
もっとも240名いた在学生のうち、5名いましたでしょうか、女子学生は・・・・経営学部も同様。仕方ないから、文学部や教育学部に出張した記憶がありますが、戦果は一向にあがらず仕舞い。その教育学部の女子学生に誘われて(ボクの主観?)、混声合唱団にもついふらふら加わってました。
でも結局、浮いたうわさは私だけ皆無(ウラギリモノーッ!)・・・・冗談一つ言えないから、試験の前だけ重宝されて(まっ、最後の4回生のときだけは・・・・)。
(フィノーラ)
どういうわけか、あの頃の合唱曲って、ちっとも憶えてなくて・・・・。
一つだけ、「太海にて」とかいう合唱曲集を断片的に・・・・私はセカンドテナー。
千葉の外房の海辺の町。
海は一日 青かった
海は一日 歌ってた
その歌に 目が覚めて
すっと立つ 春の女神 ♪ (春のうた) でしたか・・・・?
(ヨハン・シュトラウス)
3年間、まあまあ勉強して、まあまあ遊んで、それに京都には高校時代の友達、後輩も多くて、入りびたりの状態になったりしました。みんな、なつかしい思い出・・・・。
あっ、そうそう、そのドイツ語と数学だけは、結構勉強しました。
経済学の理論って、応用数学みたいなことが多いのです。
だから、高校生の数学の家庭教師をよくやってました(エヘン)。
経済学部は文系ですけど、数学だったら高校生に教えられます・・・・もう無理か(ショボン)。
(フィノーラ)
3回生までにすっかり単位を取ってしまって、4回生の頃は、週に一度のゼミだけ。
これは厳しい卒論のことがありましたので、私の顔と同じく真面目に研究しました。
週に一回、午後からくらいだったら、誰だって真面目にできますよね。
(オダマキ)
もうそれから×0年、神戸の街は先の大震災を経験しました。
顔も知らない私の後輩たちが、なんと四十数名も、無念にもその若い命を絶たれたと聞いています。
私が住んでいた下宿(阪神御影)も壊滅的な被害をうけました。
おじさん、おばさんは8時間後、奇跡的に助けられたんです。
私はほんの数十年かの違い、たったのそれだけで被災をまぬがれたわけです。
それは、人の罪がどうとか、そういうものではなく、もう運命としか言いようのないように思います。
(においすみれ)
ちょうど、卒業を控えた頃でしたか、少し前に「なごり雪」のことを触れましたが、一つの歌に出会いました。
小椋佳さんの「彷徨」というLP(レコードのことや!)です。
☆ 彷 徨
① しおさいの詩
② 春の雨はやさしいはずなのに
③ 雨が降り時が流れて
④ 木戸をあけて-家出をする少年がその母親に捧げる歌-
⑤ 小さな街のプラタナス
⑥ 六月の雨
⑦ この汽車は
⑧ 白い浜辺に
⑨ あの人がいってしまう
⑩ 少しは私に愛を下さい
⑪ あいつが死んだ
⑫ 屋根のない車
⑬ この空の青さは
⑭ さらば青春
この⑩⑭辺りは、今でもカラオケに行って、気が向いたら歌います。
(とにかく、よう歌うやっちゃ!)
でも、私は、②⑤⑬がなぜか好きでした。
⑬「この空の青さは」はこんな歌です。
歌詞カードがないから、憶えてるままです。
(漢字のまちがいあるかも・・・・)
(ジューンベリー)
(due poesie di oggi)
この空の青さは ♪
帰ると決めた 夜が明ける
独りよがりの 冬が終わる
ああ それにしても
この空の青さはどうだ
この雲の白さはどうだ
僕はもう逃げない
君が待ってる
初めてのように 夜が明ける
独りよがりの 旅が終わる
ああ それにしても
この朝の光はどうだ
この木々の緑はどうだ
僕はもう逃げない
君が待ってる
(エグランタイン ER(Masako))
もう一つ印象に残るLP(ロング・プレイ=ゆっくり回転するレコードのことやで!)があります。
もしかしたら、就職してから1年目に出会ったのかもしれません。
☆ 帰っちゃおうかな
① 想い出して下さい
② 帰っちゃおうかな
③ 走らないで下さい
④ 風の足跡
⑤ 公園に来て
⑥ 大いなる旅路
⑦ うす紅色の
⑧ 名もない魚
⑨ この胸の高なりを
⑩ 陽だまりの仲間達
⑪ 風車まわれ
⑫ 愛がこわれそう
こういう曲を、ギターをポロンで弾いて歌ってました。
この中では①②⑩あたりでしょうか、好きでしたのは・・・・。
でもとりわけ⑥ですが、いまはこの曲はカラオケにはありません。
ですけど、小椋さんの歌で好きな曲を上げなさいと言われたら、
真っ先にこれを上げるかもしれません。
(キンギョソウ)
(due poesie di oggi)
大いなる旅路 ♪
旅は長く遠く 肩の荷重く
時に堪えかねて 涙をふけば
胸の奥に熱く 何かがさわいだ
あの日とめどなく あふれた夢さ
なつかしい人が はるかな日々が
時の流れこえて ほら めぐる旅路さ
風がふと運んだ 汽笛の音に
時の谷間きて 歩みを止めれば
夕日 空をこがし 心に沈んだ
明日もたえまなく 燃える力さ
なつかしい人が はるかな日々が
時の流れこえて ほら めぐる旅路さ
なつかしい人が はるかな日々が
時の流れこえて ほら めぐる旅路さ
私の中では、遠い神戸の頃をなつかしむだけのものとなってしまいました・・・・。
(ビオラ)
家 路 ♪
遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめぬ
今日の業をなしおえて 心軽く安らえば
風はすずしこの夕べ いざや楽しまどいせん
(イズミ)