1963年4月。
結婚して3人の子供もいるチズコ姉ちゃんが、6畳二間のプレハブのような家から引っ越すことになった。
旦那さんが、百姓さんから50坪くらいの池を買い、タダで貰ってきた残土でそこを埋め立て家を建てたのだ。
土建屋のダンプの運転手をしていた旦那さんが、借金をして二年前に中古のダンプを買って独立してたのだ。
日本国中、建設ブームで何ぼでも仕事があり、旦那さんは日曜日もあまり休まずに働いていた。
引っ越しには、お母ァとオレが手伝いに行った。
荷物は、そんなに多くはなかったが、荷運びをダンプカーでやったものだから、荷台が高く積み下ろしが大変だった。
何でオレに手伝いの声がかかったのかわかった。背が高く、そこそこ力がある者が必要だったのだ。
親父の反対を押し切って所帯を持ったチズコ姉ちゃんだった。
年子で3人の子供を産んで大変な中で、旦那を支え、苦労してやっと自分の家を持てたのだ。姉ちゃんはうれしそうだった。
オレとは13、歳が離れているとはいえ、まだまだ若いはずなのに苦労がたたったのかだいぶ老けた。
一段落したところで、旦那さんが「ご苦労さん」と、ちょっと上等な肉のすき焼きをご馳走してくれた。
帰り際に「この家の借金もあるので、もっとがんばらんと」と姉ちゃん。
「あんまり無理したらあかんで」とお母ァ。
オレは自転車のサドルにまたがって、お母ァが後ろに乗るのを待っていた。
結婚して3人の子供もいるチズコ姉ちゃんが、6畳二間のプレハブのような家から引っ越すことになった。
旦那さんが、百姓さんから50坪くらいの池を買い、タダで貰ってきた残土でそこを埋め立て家を建てたのだ。
土建屋のダンプの運転手をしていた旦那さんが、借金をして二年前に中古のダンプを買って独立してたのだ。
日本国中、建設ブームで何ぼでも仕事があり、旦那さんは日曜日もあまり休まずに働いていた。
引っ越しには、お母ァとオレが手伝いに行った。
荷物は、そんなに多くはなかったが、荷運びをダンプカーでやったものだから、荷台が高く積み下ろしが大変だった。
何でオレに手伝いの声がかかったのかわかった。背が高く、そこそこ力がある者が必要だったのだ。
親父の反対を押し切って所帯を持ったチズコ姉ちゃんだった。
年子で3人の子供を産んで大変な中で、旦那を支え、苦労してやっと自分の家を持てたのだ。姉ちゃんはうれしそうだった。
オレとは13、歳が離れているとはいえ、まだまだ若いはずなのに苦労がたたったのかだいぶ老けた。
一段落したところで、旦那さんが「ご苦労さん」と、ちょっと上等な肉のすき焼きをご馳走してくれた。
帰り際に「この家の借金もあるので、もっとがんばらんと」と姉ちゃん。
「あんまり無理したらあかんで」とお母ァ。
オレは自転車のサドルにまたがって、お母ァが後ろに乗るのを待っていた。