1958年5月
隣のオッチャンは、市内で三本の指に数えられる大きな会社に勤めていた。髪にはいつもポマードをつけ、7:3にきれいに分けていた。
このオッチャン、休日にはコーヒーを飲みながら蓄音機で西洋音楽を聴き、カナリヤなど多くの小鳥を飼うなど、ハイカラな人だった。
オレは5、6年生の時に、オッチャンから文鳥やカナリヤをもらい一時飼っていたが、それが死んでからは何も飼っていなかった。
中学生になったころ、伝書鳩を飼うことが流行っていた。おっ母ァに少し金を出してもらって友達から灰とクロゴマのつがいを買った。鼻コブの大きいやつがほしかったが、値段が高かったので手が出なかった。
鳩小屋は、金網と鳩が外から入るアルミののれんみたいなものは買ったが、後は果物屋さんからもらったリンゴの木箱2つと、家にあった板や角材など適当なものを使ってオレが作った。イタチなどに襲われないように、地面に1メートルくらいの高さの杭を4本打ち込みその上に乗せるようにした。
2週間ほどして、もう自分の家は覚えただろうと思って外に出して飛ばしてやった。初めは家の屋根など近くを飛んでいたが、そのうちに何処かへ飛んで行ってしまって夕方になっても戻ってこなかった。
ちょっと甘かったか、やっぱり2週間では無理だったのか…。
日が暮れかかっていたが、オレは自転車の荷台に段ボール箱を積んで、買った先の家に走った。鳩小屋を覗くと、二匹とも帰っていた。やっぱり鳩も自分の育ったところがなかなか忘れられないのか、人間といっしょだ。
オレの鳩人生?が始まった。
隣のオッチャンは、市内で三本の指に数えられる大きな会社に勤めていた。髪にはいつもポマードをつけ、7:3にきれいに分けていた。
このオッチャン、休日にはコーヒーを飲みながら蓄音機で西洋音楽を聴き、カナリヤなど多くの小鳥を飼うなど、ハイカラな人だった。
オレは5、6年生の時に、オッチャンから文鳥やカナリヤをもらい一時飼っていたが、それが死んでからは何も飼っていなかった。
中学生になったころ、伝書鳩を飼うことが流行っていた。おっ母ァに少し金を出してもらって友達から灰とクロゴマのつがいを買った。鼻コブの大きいやつがほしかったが、値段が高かったので手が出なかった。
鳩小屋は、金網と鳩が外から入るアルミののれんみたいなものは買ったが、後は果物屋さんからもらったリンゴの木箱2つと、家にあった板や角材など適当なものを使ってオレが作った。イタチなどに襲われないように、地面に1メートルくらいの高さの杭を4本打ち込みその上に乗せるようにした。
2週間ほどして、もう自分の家は覚えただろうと思って外に出して飛ばしてやった。初めは家の屋根など近くを飛んでいたが、そのうちに何処かへ飛んで行ってしまって夕方になっても戻ってこなかった。
ちょっと甘かったか、やっぱり2週間では無理だったのか…。
日が暮れかかっていたが、オレは自転車の荷台に段ボール箱を積んで、買った先の家に走った。鳩小屋を覗くと、二匹とも帰っていた。やっぱり鳩も自分の育ったところがなかなか忘れられないのか、人間といっしょだ。
オレの鳩人生?が始まった。
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