鯉のぼらず

2022年04月19日 15時30分00秒 | 写真のかけら
こうするしかないのだろうが
死んだ鯉を吊しているようにしか見えない。



2022年4月18日の備忘録(打ち合わせまみれの月曜日)

2022年04月19日 07時47分59秒 | 日々のかけら


Apr.18(Mon.)

■今日という日。

朝、時間があったので、天気が崩れる前に犬たちの散歩。

頭がスッキリしたところで、台本書きを始める。

12時半、オンラインでスタジオ台本打ち。

13時、オンライン会議。10分で終わる。この内容ならば、メールでの展開でよかったのではないか。そう感じる打ち合わせが、リモートになってから増えた気がする。対面で打ち合わせをしていた頃ならば、もう少し慎重に考えていたはずだ。リモートの弊害。

今日は予定を詰まっているので、飯を炊いておいた。レトルトのカレーで昼食。

用事と用事の間に2つの台本を並行して書く。こんなことは最近珍しい。

蓬髪を整えに行く。予定では3月末に行くはずだったのに。蓬も伸び放題だ。

18時、オンライン会議。当初、この確認打ち合わせを経ぬまま台本を依頼されたのだが、不安がよぎり、プロデューサーもまじえての打ち合わせを設定してもらった。不安的中。諸々整理してもらってからの台本作業となることになった。

19時半、オンライン打ち合わせ。木曜日の収録に関して、ディレクターの懸念点の相談にのる。実はこの回、僕から変更になっているのだが、ディレクターまで連絡が届いていない模様。確認してもらおうとも思ったが、それはそれで面倒なので、引き受けた次第。

予定通り自宅飯。昨日仕込んでおいた鶏肉のトマト煮とサラダの夕餉。

昨日の『The Covers』録画視聴。スターダスト☆レビューが「木綿のハンカチーフ」をカバーしたが、4番すべて演奏するのは、テレビでは珍しいのではないか。この曲は、全部やらないと真の魅力は伝わらないから大正解。

本日の「吉野家」の件、その本質的な問題に関しての言及は控えるが、気になったのは“生娘”という言葉を口にできる言語感覚だ。僕はこの言葉を口にしたことはない。文章で書いた記憶もない。もし書くことがあるとしたら、フィクションにおいてだろう。現実では今、知ってはいても使うことのない言葉だ。
そんな言葉を、僕より年下の人間が発したことに驚く。何がどうすれば、そんな言語感覚になるのか。

家人(大)から、セドナらしい写真が届く。現地で活動する画家夫婦と知り合いになったそうだ。その画家夫妻のHPのアドレスが送られてきた。たしかに興味深い作品だ。


週末に黒部立山アルペンルートに旅した友人からも写真が届く。見事だ。







そして僕だけ、ここにへばりついている。どこかに行かねば。ここを離れて。