薮原の人がうらやましい。(薮原祭り 2日前の記事参照)
薮原は宿場で、街道の両側に家が並びます。
その街道を山車がゆっくりゆっくり通っていきます。
旧宿場の中だけなので、それほど長い距離ではないですが
半日かけて下り、半日かけて上る。
住んでいる人は、家の前に椅子を出したり、家の前に駐車場がある人は
そこに椅子とテーブルを出したりして、
ごちそうを取り、お酒をだらだら飲んでいるのです。
もちろん、行きかう人に声をかけて、
「座れ座れ」ってな感じで、ふるまったり、ふるまわれたり。
家の外で飲んでない人は、家の中の座敷で飲んでいます。
また、商店のガラス戸の中から見物しているおばあちゃんも数多くいました。
雨ですからね。
ごちそうは家で作るものももちろんあるでしょうが
昼間、近所の「まるとスーパー」に行くと、
予約注文の御寿司の盛りやらおつまみセットやらが
大量にスタンバイしていました。
みんなそんなところで取ったりしているようです。
薮原神社の祭りは毎年7月8、9日と決まっていて曜日関係なしです。
このお祭りで2日間山車を曳くために、みんな、欠かさず、毎年ふるさとに帰ってきます。
山車を曳くのは若い人中心ですが、曳かない人は、この2日間、ただただ
目の前をゆるゆる通る山車を肴に、日がな飲んで、近所の人と親交を深める。
家族や親戚とも団欒する。
1年をこの2日のために暮らしている、という濃密さを、
ほんの通りかかっただけで感じてしまいました。
本当にこの日を楽しみにしているのだと思います。
この祭りがなくなったら、みんな本当に肩を落として
日々働く気力がわかなくなってしまうでしょう。
むらにとって祭りがいかに大切かということが、
家の前でだらだら飲んでいる人を見て、よく分かりました。
私は幸せなことに、この町で聞き書きの本を出させてもらったことで
声をかけてくれる人が何人もいました。
そのうちの一人のユカワさんは、家の前のテーブルでよっぱらって突っ伏して眠っていて、椅子からずり落ちそうでした(爆)。
私が行くと目をぱちくりして、
さらに手酌でお酒を注ぎ足してまだ飲んでました(爆爆)。
声をかけてくれる人がいるだけで居場所があって居心地がいい。
私にはこういう古里がありません。
20数年生まれ育ったところはあるけれど、古い田園地帯に、高度成長期に新しく来た人が入り混じったところで、こんなお祭りはなかったし、集落が結束するような行事もありませんでした。
そのことが私の中で大きな欠落となっています。
おそらく私の世代では、何割かの人が私と同様でしょう。
それが何割ぐらいなのか、50%以上なのか以下なのか分からない。
今、地方の祭りは過疎によって危機に瀕しています。
祭りがあるということは、そのむらでの人と人のつながりや共同作業があるということを
意味しています。
地域のお役で仕方なく借り出されるイベントではなくて
心から愛せるこんな祭りのあるところで育った人は、幸せです。
別のところで生まれ育ってしまったら、
一生ふるさとの祭りは持つことができないのです。
それは人生における大きな違いです。
椅子から落ちそうなユカワさんを見て
「これが祭りだ、ふるさとだ」と学びました(笑)。
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