2月1日(水)、曇り。
日本海沿岸地方の豪雪。
ものすごい。
自然現象とは言え、住む人たちの負担はものすごいハンデですね。
この辺りは、今日も晴れるかと思っていましたが、今は一面の雲。
昨日は、気温こそ低かったのですが、スカッと晴れて陽ざしが暖かでした。
と言うことで、徒然なるままに、陽気に誘われて朝から豊島家資料の段ボールを整理。
段ボールに入った資料は、字母の版木、字母のスタンプ、駒木の字母、半端ものの駒など。
このうちの一部は「名駒大鑑」載せた折りに一応は整理して、しかし、まだまだのものも。
例えば、半端ものの駒。
数えた訳ではありませんが、ザーッと7~8百枚。
字母の駒型を加えると、千枚近いかも知れません。
見知らない文字もあるのでこれを完全に書体別に分類するとなれば、中途半端。
まだまだ時間が掛かります。
改めて、面白そうなものが無いかと、アレコレ確かめながら撮影。
ついでに虫干しにでもなればと、分類しかけていた透明袋から取り出して、太陽に曝すことに。
写真はその状景。
袋ごと太陽に曝すと、袋の内側に水滴が。
カビの原因にもなるので、面倒ですがこの際、ビニール袋をとり変えよーーっと。
要注意ですね。

今回、面白い発見や再発見も。
「行書の菱湖」の字母です。
普通の楷書の「菱湖」とは全然違うのですね。
行書ですから、例えば「玉将」の「将」の旁が、クルーっと丸くなっています。
実は、出来上がった「行書の菱湖」の駒は、初めて2年くらい前に見ました。
その時は「へーーっ。こんな菱湖を龍山が作っていたんだ」と驚いたのですが、その字母が手元にあったのですね。
またしても「へーーっ」。
「灯台もと暗し」、良く見ていなかったのですね。
先日の「大納言水無瀬兼俊卿筆跡」なる駒。
あれと同じ書体で、地彫りされている「玉将」もありました。
白彫りと呼んでもいいのでしょうが、彫り跡には、僅か朱肉の赤みがあるようなので、字母に使ったのでしょうか。
この玉将駒の存在は、すっかり忘れていました。
正面からの写真を「名駒大鑑」にも載せてありますが、こんなものもあります。

将棋大成会発足記念に、関係者に配られた「関根名人書」の玉将の裏に彫られた字母形です。
「観峰山人」は、四日市ゆかりの小菅名誉名人。
昭和時代初期の将棋史を示す貴重な品でもあります。
文字の彫り跡が赤いのは、朱肉の痕跡。
未亡人とみさんの話では、短い期間で上物・並物を合わせて龍山は60組ほど作って納めたそうです。
では、また。
日本海沿岸地方の豪雪。
ものすごい。
自然現象とは言え、住む人たちの負担はものすごいハンデですね。
この辺りは、今日も晴れるかと思っていましたが、今は一面の雲。
昨日は、気温こそ低かったのですが、スカッと晴れて陽ざしが暖かでした。
と言うことで、徒然なるままに、陽気に誘われて朝から豊島家資料の段ボールを整理。
段ボールに入った資料は、字母の版木、字母のスタンプ、駒木の字母、半端ものの駒など。
このうちの一部は「名駒大鑑」載せた折りに一応は整理して、しかし、まだまだのものも。
例えば、半端ものの駒。
数えた訳ではありませんが、ザーッと7~8百枚。
字母の駒型を加えると、千枚近いかも知れません。
見知らない文字もあるのでこれを完全に書体別に分類するとなれば、中途半端。
まだまだ時間が掛かります。
改めて、面白そうなものが無いかと、アレコレ確かめながら撮影。
ついでに虫干しにでもなればと、分類しかけていた透明袋から取り出して、太陽に曝すことに。
写真はその状景。
袋ごと太陽に曝すと、袋の内側に水滴が。
カビの原因にもなるので、面倒ですがこの際、ビニール袋をとり変えよーーっと。
要注意ですね。

今回、面白い発見や再発見も。
「行書の菱湖」の字母です。
普通の楷書の「菱湖」とは全然違うのですね。
行書ですから、例えば「玉将」の「将」の旁が、クルーっと丸くなっています。
実は、出来上がった「行書の菱湖」の駒は、初めて2年くらい前に見ました。
その時は「へーーっ。こんな菱湖を龍山が作っていたんだ」と驚いたのですが、その字母が手元にあったのですね。
またしても「へーーっ」。
「灯台もと暗し」、良く見ていなかったのですね。
先日の「大納言水無瀬兼俊卿筆跡」なる駒。
あれと同じ書体で、地彫りされている「玉将」もありました。
白彫りと呼んでもいいのでしょうが、彫り跡には、僅か朱肉の赤みがあるようなので、字母に使ったのでしょうか。
この玉将駒の存在は、すっかり忘れていました。
正面からの写真を「名駒大鑑」にも載せてありますが、こんなものもあります。

将棋大成会発足記念に、関係者に配られた「関根名人書」の玉将の裏に彫られた字母形です。
「観峰山人」は、四日市ゆかりの小菅名誉名人。
昭和時代初期の将棋史を示す貴重な品でもあります。
文字の彫り跡が赤いのは、朱肉の痕跡。
未亡人とみさんの話では、短い期間で上物・並物を合わせて龍山は60組ほど作って納めたそうです。
では、また。
駒の写真集
リンク先はこちら」
http://blog.goo.ne.jp/photo/11726