たまらなく好きだというほどでもないのに、ワーグナーには不思議なところがあり、聴きはじめると癖になって何度でも聴きたくなる。止められなくなるのだ。アヘンのように陶酔してしまうなにかがある。ワーグナーの本性が露わに表現されていて、その本性が僕の本性と共振するのかもしれない。偽善や怒りや悔恨など、僕の奥で渦巻いているなにもかもがそのまま解放されていくような、とても自由な気分になってくる。今日もショルテイになりきって定規など振り回している。また始まったかと、猫たちはさっさと二階へ逃げ込んで御昼寝。
「ハサミ持ってませんか?」 スーパーの駐車場で見知らぬ女の子に呼び止められる。 小学校の一年生位だろうか、アイスキャンデーのゴムの吸い口が開けられないというのだ。乳頭のような突起に穴を開けてそこからちゅうちゅう吸うのだが、たしかにゴムが厚くて容易には開けられない。「これはね、歯で噛んで穴を開ければいいんんだよ」 と、僕の犬歯を見せながら教えてやる。すると 「これ、歯がないの」 と口をあけて見せてくれた。ホント、上の歯が全然ないのだ。乳歯が生え替わる時期なのだろう。「おじちゃんの歯であけて」 「おじちゃんのでいいの?」 「うん」 その場で噛み切ってやると、にこにこ吸いながら 「この子のも開けて」という。恥ずかしそうに少し離れて、同じ年頃の女の子がもう一人立っている。その子のも噛み切ってやる。「ありがとう!」 二人そろってちゅうちゅう吸いながらどこかへ帰っていった。 知らない人に声掛けられても返事してはいけない、着いて行ってはいけないと、子供達の安全に神経を尖らせている今日、こんな子供がいたなんて・・・・・。僕はとても幸福な気分であった。本来、子供とはこの子のように純真無垢なのである。僕に子供がいたらこの子のようであって欲しいと思うほど、心に温かいものを覚えた。
1848年の今日、6月7日はゴーギャンの生まれた日。ゴッホを悩ませたあのゴーギャン。文明を棄て、タヒチに住みタヒチの女と暮らしタヒチを描いた自然児。しかし日本にもゴーギャンに匹敵、いや、それにも勝る画家がいた。栃木県栃木市生まれの日本画家・田中一村。亜熱帯の花鳥に魅せられ、たったひとり清貧の奄美に暮らし、奄美に死んだ孤高の画家である。画風は一見アンリ・ルソーにも通じたものがあるが、画にむかう魂魄はその比ではなく、どの作品も凄まじい気迫に満ちている。一村の生涯は映画「アダン」で、榎本孝明が見事に演じている。奄美大島には「田中一村記念美術館」がある。